人間の欲求のひとつでありながら、なかなかオープンには話しづらい性欲(性的欲求)のこと。人それぞれ個人差もあるため、「相手の求めに応じるのがつらい」「相手を満足させていないのではないか」などパートナー間でズレが生じ、しばしば関係解消の原因になることもあります。
どうしたら自分の性欲と心地よく向き合い、パートナーとも良い関係を築いていけるでしょうか。本記事では「性欲とは何か」という本質に立ち返りながら、自身の性欲との向き合い方について考えます。性教育研究者である村瀬幸浩さんにアドバイスしていただきました。
- 教えてくれるのは…
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- 村瀬 幸浩さん
東京教育大学(現・筑波大)卒業後、私立和光高等学校保健体育科教諭として25年間勤務。この間総合学習として「人間と性」を担当。1989年同校退職後は、25年間にわたり一橋大学、津田塾大学等でセクソロジーを講義した。現在一般社団法人“人間と性”教育研究協議会会員、日本思春期学会名誉会員。近著に『3万人の大学生が学んだ 恋愛で一番大切な“性”のはなし』、『おうち性教育はじめます 1・2巻』(ともにKADOKAWA)、『50歳からの性教育』(河出書房新社)などがある。
性欲(性的欲求)をもっと肯定的に捉えよう
性欲とは「性的快感を得る欲求」のことをいいます。性欲を“本能”や“理性の及ばぬもの”といったイメージで捉える人もいるかもしれませんが、本当はもっと豊かで幅広く捉えられていいものです。私は性欲とはいわずに「性的欲求」と呼ぶことにしています。
性には「生殖(産むため)の性」、触れ合う心地よさや幸福感を分かち合う「快楽共生の性」、相手に対して自己中心的に振る舞う「支配の性」の3つがあります。
子どもがほしくてセックスすることももちろんあるでしょうが、人は誰しも生殖を目的にセックスしているわけではありません。楽しいからセックスをして子どもができることもあるわけで、性的欲求はもっとポジティブで明るいものだと思うのです。セックスも挿入するだけでなく、いろいろな楽しみ方があっていいはずです。
人生には楽しみがあるからこそ、私たちはつらいことも我慢して生きていけます。自身の性的欲求やパートナーとの関係を見直したいと考えているなら、自身や相手の「性」について、より深く知ろうとすること。そして、人生の楽しさのなかにセックスの喜びも位置づけて「気持ちのいいことは良いことなのだ」と捉え直してみること。そうすることが、自分の性と性的欲求を知る大事な一歩です。
セクシュアル・プレジャーとは
2019年に、性の健康世界学会が性の快楽を人権とする「セクシュアル・プレジャー宣言」を提言しました。
セクシュアル・プレジャー (快感・快楽・悦び・楽しさ)とは、他者との又は個人単独のエロティックな経験から生じる身体的および/または心理的な満足感と楽しさのことであり、そうした経験には思考、空想、夢、情動や感情が含まれる。(中略)セクシュアル・プレジャーは、性の権利の文脈で行使されるべきものである。(中略)人間にセクシュアル・プレジャーをもたらす経験は多様であり、(それゆえに)プレジャーがあらゆる人にとって肯定的な経験でありつつ、他者の人権とウェルビーングを侵害して得られるものでないことを保障するのが、性の権利である。(※)
※世界性の健康学会学術集会・メキシコシティ大会 セクシュアル・プレジャー宣言より引用
性行動に個人差があるのはなぜ?
「性的欲求はポジティブなもの」「快楽を得ることは良いこと」といわれても、ピンとこない人は意外と多いかもしれません。
残念ながら日本におけるセックスは「支配の性」の側面が強く、メディアにもそうした情報があふれています。多くの場合主導権は男性側にあって、男性の能動性や攻撃性のうえに成り立つような世界観で描かれます。
女性の身体のことや快感は置き去りにされ、女性は「こうしてほしい」「イヤだ」と積極的に言いにくい。こうした性生活における歪みは、学校でも家庭でもまともに性教育がなされてこなかったことに大きな原因があると私は考えています。
日本の性教育では「生殖の性」について教えることばかりが優先されることを、私はとても残念に思ってきました。女子の初経は母親になる準備と教え、性交自体は教えない、まして「セクシュアルプレジャー」なんてもってのほかというのが現状です。
特に女子への性教育に対しては、明治以降の「純潔教育」が踏襲され、「性の主体性や快楽性」は強く否定されてきました。性にアクティブな女性は軽蔑され、生殖の役割を終えた女性の性はないものとされてきた歴史があります。
一方、男子は自分で学べとでもいわんばかりに、女性の体のことや自分が妊娠させる性になったことをきちんと教えられないまま成長していきます。最近では月経について男女一緒に学ぶ機会も増えてきたようですが、まだ十分とはいえません。
さらに、男女ともに性的欲求を自分でどう対応したらいいかを学ぶこともほとんどありません。若者は「交際の仕方や恋愛のこと」について知りたがっているのに、適切に学べる機会がほとんどないのです。いまの大人世代も学んでこなかった人がほとんどでしょう。
そういう環境でAVなどアダルトコンテンツから性を学んでいくとどうなるでしょう。それらで表現されるのは、基本的に男性からの暴力的な「支配の性」ですから、それこそがセックスだと刷り込まれてしまう。その結果、パートナーを傷つけたり関係が壊れたり、性暴力に発展することもしばしばあります。
人は性にポジティブにもネガティブにもなれる
私たちの性行動には、育つ環境や文化、教育、これまでの性的な経験などさまざまなことが影響していることを知りましょう。
性行動に影響を及ぼすもの
- 成育におけるタッチとケアの経験
- 性に対する解放度(許容度)
- 性に対する学習(考え方、表現)
- 両者の関係性(生活・性意識など)
- 育ってきた社会・文化・ジェンダーなど環境
- ホルモン(愛情ホルモンと呼ばれるオキシトシンやエストロゲン、プロゲステロン、テストステロンなどの性ホルモン)の分泌・働きに由来するもの
など
子どものときに親(養育者)から抱きしめられたり頬ずりされたりして、体感で「触れ合うことは気持ちいい」という経験をしているかどうかは重要です。逆に叩かれたり殴られたりしながら育つと、人に対して優しさを表現することが下手になり、場合によっては相手に暴力をふるうことに抵抗感をなくすことさえあります。暴力も愛情も“学習”の結果身につける能力・感性といっていいと思います。
幼少期からある「性器タッチ(自分の性器を手で触ったり物にこすりつけたりする)」は男子女子どちらにも見られる行為ですが、親からひどく叱られた経験が重なると、大人になってセックスに積極的・肯定的になれなくなってしまうかもしれません。
反対に、自分の性器や肉体を良きものでやさしく大切に扱うべきものと教えられて成長すれば、セックスをポジティブに受け入れることができるでしょう。
そのほか「女性が積極的に振る舞うのははしたない」「威張るのが男らしさ」といったジェンダー観や性別役割意識も性行動に影響を及ぼします。性的同意(性的な行為に対してお互いの気持ちをしっかり確認し合うこと)について学んできたかどうかも重要です。
性的欲求は、衝動ではなく「報酬」であるともいわれています。その人にとって楽しいものならまたしたくなるでしょうし、セックスが苦痛であったり暴力を連想させたり退屈なものであったりしたら、性的欲求は減退していきます。
このように、性行動は環境や社会が作るという側面があります。つまり、親子のふれあいや教育を変えていくことで、子どもの性行動も変わります。また、大人になってからでも性についての考え方や相手との向き合い方次第で、性行動を優しく楽しいもの、温かなものへと変えていくことはできるのです。
子どもの性器タッチを見つけたらどうすればいい?
幼少期に性器タッチをするのは気持ちいいからであって、悪いことをしているわけではありません。大人が「ダメ、いやらしい」などと叱ると、性に対してネガティブな感情を抱かせてしまいます。大切なことはジャッジするのではなく、TPOを教えること。「私は見たくない」と伝えるのはOK。マナーとして「人の目のない場所でする」「清潔な手で触る」ことを伝えそれがクリアできていれば何も問題ありません。
性的欲求との適切な向き合い方 ~生涯にわたる性について考えよう~
生殖年齢が終わると、性的関係も終わるのでしょうか。
加齢によって、性的欲求や性機能の変化や低下は遅かれ早かれおきます。私自身も50代、60代になって思うように勃起しなくなり、妻にED治療薬を飲んでみようかと提案したことがありました。でも妻から「やめてほしい」といわれ、妻は必ずしも挿入を望んでいるわけではないことに気づいたのです。じゃあどう愉しむか2人で一緒に考えるようになってから、むしろ気軽に取り組めるようになってきました。肌と肌を重ね、触れ合うことで生きている充実感が満たされることも知りました。また勃起は十分なくても射精の快感を味わうことは可能であることを付言しておきましょう。
このように挿入だけがセックスではなく、セクシュアルプレジャーには生理的快感や心理的快感を求めてさまざまなバリエーションがあることを知ってほしいと思います。そのほうが人生はもっと豊かなものになっていくでしょう。
生涯にわたる性をセクシュアルプレジャーから考える
年齢に応じて、性的欲求と性行動は変化します。ここでは、生まれてから生涯続く「ラビングタッチ」、思春期から更年期まで続く「セクシュアルタッチ」、10歳ごろから生涯続く「セルフプレジャー」の3つに分けて考えてみましょう。
ラビングタッチ
愛と癒し、ぬくもりとケアを重視したふれあい。元をたどれば生物的ニーズといえるもので、生涯続く性行為の核心です。動物でいえば毛づくろい、人間なら抱きしめるような行為で安心感を育てます。
特に性器へのタッチは、相手との信頼関係や親密さを確かめあう行為でもあり、自己肯定感(そうされる自分はいい存在なんだという感覚)を満たしてくれます。双方で望み合うのなら性交ができなくてもオーガズム(性的絶頂感)に至るなど、愛し合うことが十分可能です。
セクシュアルタッチ
主に思春期から50歳前後は、強い快感(オーガズム)を目指して挿入に至るセクシュアルタッチへの関心が高まります。時には生殖を意識して行われます。
セルフプレジャー
手や口、セックストイ(性具)などを使って、自分で時には可能ならば交互に刺激を与えたり受けたりしながら性的興奮を得る行為です。生涯楽しむことができます。かつては自慰行為、オナニー、マスターベーションと呼ばれることが多かったのですが、最近はよりポジティブな意味の「セルフプレジャー」という言葉が浸透してきました。
私は、性教育の講義で学生たちに「自分の欲求は自分で管理すること。欲求が高まったからといって人に押しつけたらそれは犯罪になる」、また女子には「自分で触ったこともない部分に、他人の性器を入れるな」などと話してきました。
性的欲求を自分で管理して、気持ち良さを表現できるようになることは、自分の性に主体的になれるということです。どうされたら「気持ちいいのか」「イヤなのか」、自分でわかることが自信につながります。
主体的に行うプレジャーは、快感だけでなく安らぎや自己肯定感、生きる意欲や健康をももたらしてくれます。
相手への尊重とリッスン力がこれからの課題
性欲をめぐるやり取りや、セックスの問題でうまくいかない場合には、2人の関係性に目を向けてみることが大切です。苦楽を共にするパートナー同士になれているでしょうか? セックスの良し悪しを決めるのは両者の対等性と相互性です。
性のこととはいえ、普段の生活の中でどんな関係を作ってきたかが重要です。2人の間で生活上の分担はあってもいい。夫が働いて妻が家事育児をやることでうまくいくこともあります。でも稼いでいるほうが偉いという上下の意識があると、それは服従や差別につながっていきます。力関係の差や偏見があるなかでセックスの話などできません。大切なのは、対等な関係を2人で作っていくことと、相手へのリスペクトがあるかどうかです。
対等な関係は、勃起、挿入、射精という男性器中心の考えでは成り立ちません。相手がいなかったから、性的に満足ができないからという理由で他の女性とセックスをする人がいますが、関係を継続していく見込みがないなかでのセックスにどんな意味や喜びがあるのでしょうか。
性的関係がうまくいかなくなっていったとき、軌道修正をして修復できるのは「リッスン力」を持っているカップルだと思います。相手側のしたくないという気持ちを無視して性行為に持ち込んでも、そこに快楽共生の喜びはありません。相手の気持ちを聞かずに好き勝手できているとすれば、それは強い立場にいる側だからです。相手への尊重がないと、人間は傲慢になっていきます。
リッスン力をつけなければならないのは強い立場にいる側です。自分は強い側だと自覚があるほうが相手を気にかけること。不安や困惑はないか、言い出せないことがあるかもしれないと想像力を働かせて、まず聞くのです。
「したくないこと」にNOを示すことはとても大事ですし、その気持ちは尊重されなければなりません。その一方、立場の弱いと自覚する側からも自ら誘うなど、性を自然な欲求として表現する力を持ってほしいと思います。
日本では、親や教師のいうことに対して「うん」という聞き分けのいい子が「良い子」とされてきました。NOというと大人から「なぜ?」と聞かれ、説明するのが面倒だから「うん」で済ませてしまうこともあるでしょう。これでは人間関係は豊かになりません。言葉のキャッチボールができるかどうか、夫婦でも親子でも普段の生活から意識してみてください。
これからの社会では、性的関係にも対等の関係と尊重し合う関係づくりが求められます。面倒だからと向き合うことを諦めたり、一方が相手に強いたりする関係では、セックスはもちろんのこと、共に生きていくことも難しいでしょう。
人は誰しもYES/NOを伝える力を持っています。パートナーは何を望んでいるのか、自分はどんなふれあいを求めているのか。セクシュアルコンセント(性的同意を取ること)を含めて、仲の良い関係を築くことから始めてほしいと思います。お互いの価値観や気持ちを尊重しながらすり合わせる作業ができるかどうか。それが人生に「快楽共生の性」を取り入れていく鍵です。