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新月ゆきさん「くも膜下出血の実体験を漫画化した理由」

健康そのものだった自分が、なぜ? 2020年夏、「くも膜下出血」を発症した漫画家の新月ゆきさん。手術・入院・後遺症のリハビリの日々を描いた実体験漫画『くも膜下出血のラブレター』はSNSでも注目されました。

大病によって人生を見つめ直し、さらにその経験を漫画として表現したことで、新たに見えてきた景色とは? 発症から3年目を迎えたいまの心境を、新月さんにうかがいました。

新月ゆきさん

イラストレーター、漫画家。2020年夏、突然の激しい頭痛に襲われ、くも膜下出血を発症。コロナ禍での手術と入退院、失語症のリハビリなどの数年にわたる実体験を漫画化した『くも膜下出血のラブレター』を連載中。
X:https://twitter.com/Shingetsu_yuki

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突然の激痛、健康な私の体に何が起きた?

―新月さんが「くも膜下出血」を発症した当時のことを教えていただけますか。

新月さん

2020年の夏でした。シェアハウスの自室で過ごしていたとき、頭全体が締めつけられるような激しい痛みに突然襲われたんです。最初はじわじわとした頭痛だったのですが、あっという間にどんどん痛みが強くなって。

当時の激痛をこう例えている新月さん(『くも膜下出血のラブレター』1巻より抜粋)
新月さん

「さすがにこれはおかしい」と気づいて、朦朧としながらも自分で救急車を呼びました。痛みが始まってから救急車を呼ぶまでは、5分くらいだったと思います。
 
病院に搬送され、意識を取り戻したときは病室でした。そこで初めて、自分が「くも膜下出血」を発症したことを看護師さんから知らされました。

―くも膜下出血は、脳のまわり(くも膜下腔)に出血が見られる状態で、主に血管にできた瘤(こぶ)が破裂して起こる深刻な病気です。何か予兆のようなものはあったのでしょうか?

新月さん

私の場合は叔父が過去にくも膜下出血で倒れたことがあったので、もしかしたら遺伝的要因の可能性もあったのかもしれません。とはいえ、頭痛が起きる前はまったく普段どおりでしたし、痛みや気持ち悪さなどは一切なく、本当に突然の出来事でしたね。
 
それまで私はずっと健康的な生活を送っていたんですよ。喫煙や飲酒の習慣もなかったし、食事や睡眠にも気を遣っていた。ヨガやジョギングなどの運動もほぼ毎日していました。ストレスを溜め込まないようメンタルケアにも時間をかけていたし、毎年の健康診断もずっと問題なし。

―理想的と言えるほどの健康生活ですね。そこまで意識を高く保ってこられた理由は何かあったのでしょうか?

新月さん

私、12歳のときにチョコレート嚢腫の手術で右の卵巣を取っているんです。親指サイズの卵巣が拳サイズまで腫れて破裂しかけていて、「痛い痛い!」と泣き叫ぶほどの激しい痛みでした。
 
手術は無事に終わりましたが、入院中に母が「母親なのに、娘の体の異変に気づいてあげられなかった」と自分を責めて泣いていた、と姉から聞かされたんです。それを知ったとき、「私はこの先、もう二度と手術台には上がらない」と決めました。私が病気になったら、母や家族を悲しませてしまう。だから、健康には人一倍気を遣って暮らしていたんです。
 
だからこそ、「まさか私が?」という驚きがまずは一番大きかったですね。

―病院で意識を取り戻したときは、どのような状態だったのでしょう。

新月さん

目が覚めた時点で、すでにカテーテル手術(※)が無事に終わっていました。自分がくも膜下出血だったこと、すでに手術が済んだことへの驚きが一通り収まると、次に湧いてきたのは「知りたい」という欲求でした。
 
くも膜下出血については、発症したら約3割が死亡すること、そうでなくとも約3割の人には後遺症が残る可能性がある、といった基本的な知識は以前から持っていましたが、そのとき一番知りたかったのは、「これから私はどうなるんだろう?」「私と同じような症状の人はいるの?」「退院後は普通の生活に戻れるの?」という具体的なこと。
 
スマホで検索しても、出てくるのは一般的な情報ばかり。「これから私はどうなるのか」までは、医師にも誰にもわからない。その事実がとても不安でした。

(※)細長い管を太ももの付け根に差し込み、血管内から脳の動脈瘤を治療する手術のこと。

「2週間が山場」 うまく言葉が出てこない失語症に

―発症から8日目、順調に回復できそうと思えた矢先、突然「言葉が出なくなる」という症状が現れたそうですね。当時はどのような心境でしたか。

新月さん

自分の頭のなかにある言葉と、実際に口から出てくる言葉が違ってしまう。何を言おうとしているかわかってはいるのに、言葉がつながらない。これまで体験したことがない混乱と驚きでした。

頭の中と言葉が繋がらない経験をした新月さん(『くも膜下出血のラブレター』2巻より抜粋)
新月さん

そのとき、ハッと気づいたんですね。入院してからその日まで、お医者さんや看護師さんがよく口にしていた「くも膜下出血は2週間が山場」という言葉の本当の意味に。
 
私は2週間経てば何事もなく退院できると思っていたんです。でも、本当はふたたび脳内で出血が起きるかどうかの山場、命の山場という意味での2週間だったんですよね。

―失語症の症状が出たその日のうちに再手術に挑まれていますね。

新月さん

失語症の症状が出て、すぐにMRI検査をして、40分後には即手術でした。
 
でも、その流れるようなスムーズさが、私の場合は逆に安心できたんですね。局所麻酔だったので手術中に先生方が話しているのも聞こえてきたし、よくあることなんだ、慣れているんだな、と思えたので。
 
だから、手術中もあまり恐怖心はありませんでした。もともと話すこと自体が得意ではないので、もし言葉を失っても手や指さえ動くのであればいい、という気持ちもどこかにあったのかもしれません。

3回目の手術までに、生きる準備と死ぬ準備をしたかった

―2回目の手術も成功。ふたたび言葉を話せるようになりますが、医師からは再発の可能性が高いこと、くも膜下出血に治療薬はないこと、それらを踏まえての再々手術を勧められます。新月さんはそこで「次の手術までに退院する」という選択をします。医師にかけ合ってまで一時退院を選んだのはなぜでしょう。

再発の可能性を伝えられたときの様子(『くも膜下出血のラブレター』3巻より抜粋)
新月さん

「自分の人生を整理したい」という思いが湧いてきたからです。
 
生きる準備と、死ぬ準備をしよう。
 
自分の死を意識したときに、強くそう思いました。私にとっての人生の意味は何か、その問いに自分なりの答えを見つけたい。3回目の手術の前に退院したいと希望したのは、それが理由です。

―いったん退院したことで、何か心境の変化はありましたか。

新月さん

私にとっての人生とは、結局のところ「人」なんだなあ、と発見できました。具体的なエピソードは「くも膜下出血のラブレター」でも詳しく描いていきますが、じつは私がこの漫画で一番描きたいのは病気のことよりも、病気になった後のことなんですね。
 
読みものとしての需要があるのは、くも膜下出血の手術や入院中の経過だろうなと理解しています。でも私の心が一番大きく動いたのは、むしろ退院後でした。退院後の人間関係がもたらしてくれたいろんなことこそが、私がこの漫画で一番描きたい部分なんです。
 
そのことを教えてくれたのは、一緒に暮らすシェアハウスの人たちでした。オーナーさんをはじめとしたシェアハウスの人たちには、本当にいろんな場面で助けられましたね。

―新月さんが救急車で運ばれたときにサポートしてくれたのも、シェアハウスの人たちだったそうですね。そもそも、シェアハウスに入居したきっかけは何だったのでしょう?

新月さん

もともと自然が好きで、田舎に住みたいなと思って物件を探していたんですね。それで自然が多いエリアで絞り込んでいたときに、たまたま空きを見つけたのがいまのシェアハウスでした。
 
オーナーさんがいて、5部屋それぞれに住人がいますが、みんな職業も年齢も生活リズムもバラバラ。共有のリビングでたまたま会ったらおしゃべりをしたり、一緒にプリンを食べたりするときもありますが、家族の距離感とはやっぱり違う。シェアハウスの人たちとの関係性は、「他人以上・家族未満」のようなものかもしれません。いまの私にとっては、一番近い他人なんです。
 
4巻以降ではシェアハウスの人たちとの関係性や、それから私自身の家族とのつながりについても描いていきます。

4巻からは、家族とのコミュニケーションについても描かれている(『くも膜下出血のラブレター』4巻より抜粋)

不安だった「あの日の自分」に向けて描いている

―「くも膜下出血のラブレター」はSNSでも話題になりましたが、書籍化のオファーもあったのでは?

新月さん

書籍や連載のご依頼などはいくつかいただきましたが、すべてお断りしています。なぜかというと、私がいま描いている作品はエンターテインメントじゃないんですね。だから商業作品として見せるのはちょっと抵抗がある。
 
「くも膜下出血のラブレター」という作品は、私自身とへその緒でつながっているような、そんな特別な感覚があるんですね。明確に「私はこう描きたい」というものがあるので、これに関しては完全に個人で仕上げようと思っています。

―新月さんにとって特別な作品なのですね。ちなみに、「この体験を漫画にしよう」と思ったのはどのタイミングでしたか?

新月さん

じつを言うと、かなり早い段階、最初にくも膜下出血で倒れて、病院に救急車で運ばれているときから「この体験を描こう。描かないといけない」と決めていました。
 
ただ、作品という形にするまでには、やっぱりすごく時間がかかりました。当時のことを冷静に振り返る作業は精神的にしんどかったですし、いまだに整理しきれていない部分もあって。最初のころは描き上げた直後は2、3日くらいダウンしていました。
 
でも発症から1年を過ぎたくらいから、ちょっとずつ、ほどよい距離感を保てるようになってきた。いまは自分のペースで休み休み執筆し、公開しています。

―「こんな人に届けたい」などの読者像のイメージはあるのでしょうか。

新月さん

入院中、私は毎日のように「くも膜下出血」についてスマホで検索していたんですね。あのときのことを振り返ると、いつもベッドで横になって不安な気持ちを抱えながら検索をしている自分の後ろ姿が思い浮かびます。
 
あのときの私と同じように、「この先、自分はどうなるんだろう?」と不安を抱えている人たち。そういった人たちにまずは届けたいなと思っています。

―Kindleで無料公開されているのは、そうした思いからだったんですね。

新月さん

はい。SNSのリプライなどで感想をたくさんいただけるのですが、そのたびに「ああ、ちゃんと届いたんだ」と実感できて胸がいっぱいになります。喜びといっていいのかわかりませんが、何ともいえない気持ち。描いてよかった、と思えるのはそういう瞬間です。
 
「描く」という作業を通じて、私自身が癒やされているのかもしれません。

発症から3年、猫との穏やかな暮らし

―くも膜下出血の手術から3年が過ぎました。現在の生活はどうですか?

新月さん

猫と一緒に暮らし始めました。いつか猫と暮らしたいなとはずっと思っていたのですが、生き物の命を預かることが怖くて踏ん切りがつかなかったんですね。でもせっかく生きることができたのだから、「いま、猫を飼わずにいつ飼うの!?」と思い直して、退院から1年が経ったタイミングで猫と一緒に暮らし始めました。
 
1匹はシェアメイトが拾ってきた元捨て猫、もう1匹は紹介で譲り受けた猫です。シェアハウスのみんなもかわいがってくれています。

―健康面で気をつけていることはありますか。

新月さん

再発予防のために「水分補給だけはこまめにすること!」と医師に何度も言われています。体内の水分が不足すると、血液がドロドロになって血管が詰まりやすくなるので、とにかく水分補給は心がけています。
 
ただ、それ以外の日常生活では特に制限があるわけではないんですね。
 
「運動をしたほうがいいですか?」と医師に聞いたらウォーキングやジョギングを勧められましたが、それくらいでしょうか。食生活も、発症直後はカフェインや刺激物は控えめにと言われましたが、いまは何を食べても問題ないそうです。
 
薬を服用していることと、3か月に1度のペースで定期検査に行く以外は普通の生活を送れています。

―ストレスや落ちこむことがあったときは、どんなふうに乗り切っていますか。

新月さん

メンタルが落ちたときは、身近な自然に触れることで心を癒やしています。自然のなかに身を置くと、負の感情がすべて吸い取られるような感覚になれるので。
 
あとは運動ですね。私が30代のときに父が亡くなったのですが、そのときに心がすごくダウンしてしまったんです。顔は無表情だけれども、心のなかではすごく叫んでいる。そんな心と体がズレているような状態がずっと続いて、「ちょっとおかしいぞ自分」と気づいてメンタルクリニックに予約を入れたのですが、予約が1か月先まで埋まっていて。
 
「それじゃ間に合わない」という危機感があったので、じゃあ自分で何かできることをと考えたときに、運動をしてみようと思ったんです。それでジョギングとかヨガとか、体を動かすことを続けていくうちに、少しずつ心も軽くなってきた。そうした実体験もあったので、運動はいまも続けています。

―くも膜下出血も、それ以外の病気も、いつ誰の身にも起こりうることです。最後に、「明日をちょっと健康に」するために一言アドバイスをお願いします。

新月さん

アドバイスなんておこがましいことを言える立場ではないのですが、一言伝えられるのならば「自分に優しく」でしょうか。
 
いまの時代、誰もが会社や家庭で役割を持っていて、それぞれの場で他者の期待に応えようと一生懸命頑張っている。無理してでも頑張ってしまう優しい人たちがたくさんいるように感じます。
 
そうした優しさを、周囲の人々だけでなく、どうか自分自身にも向けてもらえたらいいな、と思っています。

くも膜下出血のラブレター1巻はこちらからご覧いただけます。

CREDIT
取材・文:阿部花恵 写真:小野奈那子 編集:HELiCO編集部+ノオト
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