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はんにゃ.川島章良さん「腎臓がんは人生におけるひとつの経験」

「天国から一気に地獄へと突き落とされた」

腎臓がんの疑いがあると医師から告げられた瞬間を、お笑いコンビ「はんにゃ.」の川島章良さんはそう振り返ります。当時32歳、お笑い芸人としての仕事は上り調子、恋人の妊娠がわかってプロポーズをしようと意気込んでいたまさにその日、がんを告知された川島さん。

「人を笑わせるのが仕事なのに、がんだなんて」との不安から当初は、がんの事実をひた隠しに。けれども手術から1年半を経て「がんサバイバー」であることを世間に公表した結果、人生が激変するほどのポジティブな変化がたくさん起きたそうです。

手術から丸5年が経ち、2020年には晴れて「がん卒業」となった川島さんに、当時の心境をお聞きしました。

はんにゃ.
川島 章良さん

1982年生まれ。2004年、NSC東京校に入学後、金田哲さんとお笑いコンビ「はんにゃ.」を結成。結婚を目前に控えた2014年、32歳のときに健康診断で腎臓がんが見つかる。摘出手術に成功後はお笑いライブ、バラエティ番組出演のほかにも、料理レシピ本の出版やがん経験の講演会など活躍の場をさらに広げている。2児の父。

プロポーズ直前に「がん」告知、彼女の第一声は?

―川島さんは32歳で「腎臓がん」が発覚したそうですが、それまで病気の経験は?

川島さん

病気どころか風邪すらほとんどひいた記憶がなくて、めちゃくちゃ丈夫でした。両親をはじめ大病を患った家族もいなかったので、健康診断もろくに受けていませんでしたね。
 
そんな自分が久しぶりに健診を受けてみようかなと思ったのは、付き合っていた彼女の妊娠がわかって結婚を決めたから。「親になるんだから、一応受けてみたら?」と彼女に勧められて、軽い気持ちで受けたら再検査になってしまった。
 
再検査の数週間後、病院の先生から「結果が出たので、ご両親とマネージャーと一緒に来てください」とLINEで連絡がありました。そんな言い方をされたら当然、不安になるじゃないですか。すぐさま折り返して「いま、教えてください」と頼み込んだら、「腎臓がんの疑いがある」と。
 
その日、僕は彼女と温泉旅行中でした。彼女にあらためてちゃんとプロポーズしよう。彼女が欲しがっていた高級ブランドのバッグもサプライズでプレゼントして驚かせよう。そんなふうにワクワクしながらお風呂上がりの彼女を部屋で待っているときに、「がんかもしれない」ですよ? 天国から地獄へと一気に突き落とされましたね。

―あまりの落差に、心が現実に追いつきそうにありません……。

川島さん

「なんでいまなんだよ!?」って思いましたね。よりによって一世一代のプロポーズをしようとしているこのタイミングで。
 
それからすぐにスマホで「腎臓がん 生存率」で検索をかけたら、悲観的な数字や情報がどっと入ってくるんですよ。がんって遺伝するんだっけ? もしも遺伝するなら、彼女のお腹にいる子どもだって生まれて来ないほうが幸せなのか? 俺ががんでもうすぐ死ぬのであれば、そもそもこの結婚をやめたほうが彼女のためでは……? 
 
ひとりの部屋で、そんなふうに悶々と悩みました。「よし、彼女には何も言わないでおこう」と一度は心を決めたんですよ。でも、顔に不安が出ていたんでしょうね。部屋に戻ってきた彼女は僕の顔を見てすぐさま「どうしたの?」と聞いてきた。その瞬間、もうこらえきれずに「腎臓がんかもしれない」と口にしていました。

―彼女の反応は?

川島さん

それが驚いたことに、第一声が「よかったじゃん!」だったんですよ。ショックで泣き崩れるかもと思いきや、「きっと、お腹にいる子ががんを見つけてくれたんだよ。だってこの子がいなかったら絶対に健康診断なんて受けなかったでしょ?」とポジティブな反応が返ってきた。
 
でもその言葉を聞いた瞬間、ああ、そのとおりだなと思えたんです。真っ暗な海の底からふわっと一気に水面まで持ち上げられたような、救われた気持ちになれました。
 
その勢いで気を取り直し、用意していたプレゼントを渡してプロポーズしたら「嬉しいけど、いまじゃないよね」って彼女が泣きながら言って、僕も「本当だよね。ごめん」と2人で泣き笑いして……。忘れられないプロポーズになりました。

コンビニへ行く気楽さでセカンドオピニオンを

―腎臓がんだと診断が下りてから手術までは、具体的にどのような流れだったのでしょう。

川島さん

僕の場合はエコー検査で見える影の形からすると、ステージ1で、初期の腎臓がんだろう、との見立てでした。その後、周囲からセカンドオピニオンも受けたほうがいいと勧められて、最初に診断された病院のほかに2つの病院でも診てもらうことに。結果的にサードオピニオンまで受けました。
 
これはがんになって以降、あちこちで言いまくっているのですが、がんに限らず病気になったときはセカンド、サードオピニオンまで積極的に受けることをおすすめします。診断を下す名医だって人間です。体調が悪いときだって当然あるし、絶対に見落としがないとは限らない。
 
過去に胃がんになった芸人の先輩は、最初の病院で「初期のステージだから手術は1年後でもいいですよ」と診断されたのに、念のためにと行った別の病院で「この腫瘍の状況は即、手術」と言われて緊急手術になったそうです。そういうことだってあり得ますから、絶対にセカンドオピニオンは受けてほしい。
 
「いまの病院に悪いから」と変に気を遣う人もいますが、セカンドオピニオンなんてコンビニをハシゴするくらいの気楽さでいいんですよ。こっちのコンビニに欲しかったおにぎりがないなら、隣のコンビニを見てみよう。それくらいの気軽さでいい。複数の意見が揃ってくれば、その後の手術や治療にもより安心して臨めますから。
 
僕の場合は結局、最初に診断された病院で開腹手術を受けました。診断から手術までは約2か月でした。

―手術を控えての約2か月間、どんな心境でしたか。

川島さん

やっぱり不安でしたね。お医者さんは「3か月後の手術でも大丈夫です」と言ってくれたのですが、待っている間にがん細胞がもっと増えるかもしれないと不安を募らせて、あらゆることに過敏になっていました。
 
日常生活で「癌」っていう字が目に入ってくるだけで、もうすっごく嫌だったんですよ。ひがらなの「がん」やカタカナの「ガン」ならまだそこまで抵抗はない。でも漢字の「癌」は、圧が強すぎて不安がどんどん募るような気にさせられるんです。以前、がんサバイバーの方々ともこの話をしたんですが、「わかる!」と共感してくれる人が多かったですね。

―人生初の手術だったそうですが、術後はいかがでしたか。

川島さん

開腹したところ転移もなく、手術自体は3時間半くらいで無事に終わりました。幸運なことに、抗がん剤治療の必要もありませんでした。
 
ただ、術後は本当にしんどかった。目覚めた直後から40℃近い高熱が数日間続くし、お腹を12センチくらい切られているのでめちゃくちゃ痛いんです。
 
鎮痛剤は自己投与できるボタン(PCAポンプ)を押すもので、「1日2回まで」と言われていたのに、あまりにも僕が痛そうにしているので、寝ている間に奥さんが毎日10回くらい押していたそうです(笑)。あとから聞いたら、安全装置があるから押しても危険はなかったそうですが。
 
リハビリもきつかったですね。お腹の筋肉って普段はそんなに意識しませんけど、やっぱり全身につながっているものなので、どんな動きをしても痛いんですよ。歩いても、立っても、しゃがんでも、笑っても、とにかく何をしても痛んでつらい。
 
術後に見舞いに来た親父が、頭にメガネをのせた状態で「メガネ忘れた」と言っていたときは、「勘弁してくれ!」とキレました(笑)。なんでそんなベタなことを素でやるんだよ、笑うと傷が開いちゃうだろ!って。

がんサバイバーであることを隠しての仕事復帰

―退院後、お笑い芸人として復帰するまでにどれくらいかかりましたか。

川島さん

いま思えば早すぎたなと反省していますが、術後2週間で復帰しました。当時はがんになったことを公表するつもりはまったくありませんでしたし、レギュラー番組を休みたくなかったので。
 
でもいざ復帰したら、やっぱりいままでどおりにはいきませんでしたね。術後の初仕事が「和田アキ子さんを人力車で引く」というバラエティ番組のロケだったのですが、さすがにそれは無理だろうと理由をつけてお断りしました。
 
大食いや激辛料理の食レポなんかも、体への負担を考えると避けるしかない。温泉ロケも手術の傷跡がみんなに見られないかなとハラハラしていましたね。
 
ただ、打ち明けざるを得ない場面もありました。復帰後すぐ、2000人くらい観客が入るお笑いライブに僕たちはんにゃ.とFUJIWARAの藤本さんで一緒に立ったとき、僕がお腹を見せて笑いを取る流れになったんですよ。
 
手術前の僕は自分のぽっこりお腹をよくネタにしていたのですが、そのときばかりは「いや、脱げない」と頑なに断るしかなくて。そのやり取りがやけに長く続いたせいで、お客さんもどよどよしてきて会場が変な空気になってしまったんです。

―体を張る現場が多い芸人さんならではの悩みかもしれません。

川島さん

一緒に舞台に立つ藤本さんからすれば、「この間までありだったネタなのに、なんで急にNG?」って思いますよね。
 
楽屋に戻ってから藤本さんに「さっきのなんやったん?」と不審がられて、これはもう言うしかないなと相方の金田と目で相談して、「じつは2週間前に腎臓がんの手術をしたんです。ただ、公表しない方向なんで、すいませんがほかの人には言わないでください」と打ち明けました。藤本さんも「おお、わかった」と約束してくれた。
 
ところが一安心していた翌日、劇場に行ったらNON STYLEの井上さんが僕のところに来て、「お前、がんになったんだって!?」って……。約束、瞬殺でしたよ(笑)。

―芸人仲間の皆さんには、期せずして早い段階で知られてしまったのですね。

川島さん

そうなんです。そこからどんどん広まって、仕事で関わる吉本の芸人仲間にはほとんど知られることになりました。
 
ただ、プラスの側面もありました。僕のがん発覚をきっかけに、芸人仲間のあいだに健康診断ブームが起きたんですよ。32歳とまだ若く、病気知らずだった僕ががんになったことで、みんなも意識が変わったらしくて。
 
「俺も健診を受けたいから川島が検査した病院を紹介して」と聞かれて、NON STYLE井上さんやオードリーの若林さんをはじめ30人くらいを紹介しましたから。彼らがいまも元気で舞台に立っているのは、僕のおかげですよ(笑)。

―その後、世間にも公表しようと思い立ったのはいつでしたか。

川島さん

手術から1年半後に、『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)という番組で「がんを公表しませんか」と、旧知の構成作家さんにオファーをいただいたんです。
 
信頼している作家さんでしたし、僕のがんを知って芸人仲間の健康意識がちょっと変わったように、若い世代やいろんな人にも僕の経験を役立ててもらえたらいいかもしれないと思えたので、悩んだ末に出演を決めました。
 
放送後の反響はすごかったですね。でも「あれを見て俺も健診受けたよ」「がん保険に入ったよ」という声を聞くと、がんになったことを公表したのは正解だったなと、いまは思っています。

―オープンにするという意味では、がんを一緒に乗り越えたパートナーである菜月さんもブログでお子さんの病気の経験などを公表されていますね。

川島さん

息子は1歳のときに「特発性血小板減少性紫斑病(しはんびょう)」という国の指定難病を患ったのですが(現在は完治)、「こんな病気もあるんだ」と同じく子育て中の方たちにちょっとでも知ってもらうきっかけになればと思い、あえて隠さずオープンに発信しています。
 
もちろん、個々人でいろんな事情や考えがありますから、公表しなくてもいい。でもちょっとでも頭の片隅に「そんな病気があるんだ」という知識があれば、万が一にでもわが子がその病気になったときに発見が早まるかもしれませんよね。そこは自分自身ががんを経験したおかげで生まれた使命感も影響しているかもしれません。

僕にとっては闘病ではなく「経病」

―現在の川島さんは、がんサバイバーとしての講演やレシピ本の出版、料理やeスポーツのYouTubeチャンネル開設など、芸人の枠を越えて多岐にわたるジャンルで活動されていますね。

川島さん

がんになって以降、仕事への考え方も大きく変わりました。とくに番組でがんを公表してからは、ありがたいことにいろんな方面からお声がかかるようになりましたし、自分としてもいろんなチャレンジをしていきたいという気持ちが湧いてきたんです。
 
昔は芸人一本で食っていけたらという気持ちがありましたが、いまは「芸人」という1人の自分で終わらせたくない。「芸人の自分」「だしレシピを開発する自分」「eスポーツをする自分」「2児の父親の自分」のように、何人分もの「自分」を生きたい、と思うようになりました。
 
はんにゃ.結成20周年も控えていますから、やりたいことが日々いっぱいありますよ。いまはまだ表に出せない企画もたくさんありますから、吉本興業を巻き込んで今後もいろんなチャレンジをしていくつもりです。

―がんのような大病を患った場合、「闘病」という言葉が使われます。病状やステージによって病気とどう向き合うかは人それぞれに違いますが、川島さんの感覚としてはいかがでしたか。

川島さん

僕にとってがんを経験したことは、闘病、つまり闘いではなくて、病を経験した=経病(けいびょう)とでも名づけたいような感覚が近いかもしれません。
 
あのとき久しぶりに健康診断を受けたおかげで、ステージ1の早期で発見できたし、9年経ったいまも元気で家族と毎日を過ごせている。結果的に、仕事の幅も圧倒的に広がった。
 
もちろん、同じがんでもステージが進むほどに「闘うべき病」として向き合わざるを得なくなりますから、自分の体験だけで無責任なことは言えません。
 
それでもいまの時代、がんと死は決してイコールではないし、早めに発見できさえすれば健康になれるケースもたくさんある。自分自身の体験を踏まえたうえで、その事実はこれからも積極的に伝えていくつもりです。

CREDIT
取材・文:阿部花恵 写真:小野奈那子 編集:HELiCO編集部+ノオト
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