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山田邦子さん「乳がんで再確認、明るさを持ち続ける意味」

「乳がん」を特集した医療情報番組の収録中に、自身の胸に違和感を覚えたタレントの山田邦子さん。信頼できる医師たちとの出会いを通じて、早期の乳がんを手術しました。そのとき、46歳。寝る間もないほど多忙だった20~30代を経て、結婚し、生活がやや落ち着いてきた時期でした。

診断を受けた翌年、がん経験者の著名人が参加するチャリティ団体「スター混声合唱団」を結成。団長として、がんが寛解したいまも変わらず、さまざまな啓蒙活動を続けています。16年経ったからこそわかったこと、乳がん患者さんに伝えたい思いなどを詳しくうかがいました。

山田 邦子さん

1960年、東京生まれ。20歳で芸能界デビュー。『オレたちひょうきん族』『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』などで一躍お茶の間の人気者となり、多数の冠番組を持つ。1988~95年、NHK「好きなタレント調査」で1位に。2007年、乳がんに罹患。翌08年より厚生労働省「がんに関する普及啓発懇談会」メンバーとなり、「乳がん検診の大切さ」について全国で講演を続けている。2022年12月には『M-1グランプリ』の審査員を務め、話題となった。

触ると、ゴツっとして動かないイヤな感触

―山田さんが最初に胸の違和感を覚えたのは、テレビ番組の収録中だったそうですね。実際にがんと診断されるまでは、どのような流れだったのでしょうか。

山田さん

『最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学』で、乳がんの自己検診をするスペシャル回があったんですね。当時、国立病院機構横浜医療センター(現・湘南記念病院乳がんセンター長)だった土井卓子先生による指導で、まんべんなく自分の乳房を触っていくと、喉の右下あたり、肋骨の一番上のところに1センチぐらいの、ゴツっとした感触のものがあったんですよ。これが、骨にしがみついた感じで動かない。指先にイヤな感覚が残りましたね。
 
収録中に「あれっ?」とは思ったけれど、その日は普段どおり家に帰りました。自宅でもう一度触れてみたら、やっぱり動かない何かがある。私の祖母も乳がんでしたので気にしてはいたのですが、3年ほど乳がん検診に行っていなかった。それで翌日土井先生に連絡を取ると、「すぐ病院にいらっしゃい」と言ってくださって。収録の翌日に先生のところにうかがいました。
 
長い針で細胞を取りました。すると、先生が「私の勘だけど、がんじゃないと思う」とおっしゃるので、その日は喜んで帰りました。結果は1週間後と聞いていたのに、翌日主人と車で移動中、急に先生から「細胞からがんが見つかった」と電話があって。急いで横浜の病院に向かいました。
 
病院に着くと、土井先生がとっても明るい声で「ごめんなさい、がんだったわ!」とおっしゃって。「ひどいな、先生……」と思いましたけど、なんか笑っちゃったんですよね。先生が「大丈夫よ。すごく手術が簡単なところにできているからね。よかった、よかった」って、あまりにも「よかった」とおっしゃるものだから、「本当に不幸中の幸いだったんだ」と思いましたね。

―実際に山田さんの執刀をされたのは、土井先生ではなかったんですよね?

山田さん

そうなんですよ。土井先生に手術日の確認をしようとしたら、「日本一の病院と、尊敬する先生を紹介するから、そっちに行きなさい」って言われて。乗りかかった船だから、私は「手術は先生にお願いしたいです」と返したんですけど、「いやいや、私だって絶対ってことはないのよ?」って言われて。
 
しかも、「がんは頻繁に治療で通うから、家から遠い病院だと、自分も家族も途中でしんどくなっちゃう。近所でいい先生がいたら、そっちのほうがいいのよ」とおっしゃる。ならば、この先生の話に乗っていこうと思って、聖路加国際病院の中村清吾先生を紹介していただきました。
 
中村先生は、乳がんの世界ではものすごく著名な方です。でも日々の業務でお忙しく、実際の担当は矢形寛先生になりました。そのときの正直な気持ちを言うと、がっかりしましたね。せっかく土井先生に紹介状まで書いていただいたのに。でも、忙しくて月に一度ぐらいしかお会いできない先生よりも、毎日一緒にいてくださる先生の方がいいのかなと。初めはアシスタントのなかで一番腕のいい先生が選ばれたのかなと勘違いしましたが、矢形先生はとても優秀な名医でした。
 
矢形先生は図や絵を描いては、私にメモとしてくださるんです。がんについて何もわからない私にしてみたら、専門医の先生がすべてです。説明も非常に明快で、話がわかりやすいのは、ものすごく心強いですよね。
 
最初の診療で、矢形先生にこう切り出しました。「先生、私、死ぬの?」って。そうしたら「死なない!」って即答されて。それで先生に「私は何をすればいいですか?」と聞いたら、「がんの治療には体力が必要になるから、日々疲れないようにしてください」と言われました。いざ手術となったら、私のがんだけど、あとは先生に頑張ってもらうしかない。私ができることといったら、健やかな生活を送ることぐらいしかないんだなと思いましたね。

病院を変えて手術。放射線治療でやってきた精神的落ち込み

―その後、聖路加国際病院で手術をされます。

山田さん

番組の収録が2007年3月8日で、手術が4月26日でした。乳がんはしこりのないものもありますが、私の場合は指でしこりを感じてしまうので、一刻も早く手術をしてほしいと焦っていました。そんな私を見て、矢形先生は「邦子さんの乳がんは8年前からできています。がんはすぐに大きくなるわけではないんですよ」とおっしゃる。それで焦るのをやめました。手術までの1か月半弱、よくよく調べたら、がんが右胸に2つ、がん予備軍が左胸に1つあることがわかりました。
 
私は、まだがんではないものも切るかどうかをかなり悩んでいました。チーム医療なので10人の先生が関わっていて、先生たちが私のところに来るたびに聞いてみたんです。「まだがんじゃないのに切ったほうがいいですか?」と。すると、全員同じ答えで、「今後60%の確率でがんになると思うので、切ったほうがいいです。こういう段階で芽を摘んでいくのが一番いいと思っています」と言うんですね。
 
4時間の温存手術でした。左右で、ゴルフボールより小さい患部を3つ取ったそうです。おそらく小さく小さく切除したのでしょう。ただ、がんの先端が若干浸潤(※)していたそうで、翌月末にもう一度手術をしました。

※…浸潤(しんじゅん)=がん細胞が周囲の組織に滲みこむよう広がること

―二度の温存手術のあと、放射線治療に移ったそうですね。

山田さん

手術の傷が癒えてから、全部で28回照射しました。たった1分間なんですけど、日曜を除いて、毎日病院に通わないといけません。最初のころは病院まで車で移動していたところを、あえて都バスに乗ったりして、毎日楽しく通院していたんです。
 
でも徐々に夏の暑さと治療のくたびれが出てきて、半分を折り返してから、精神的に疲れていきました。放射線室に入ったとき、よく怒っていましたもん。こちらは裸で恥ずかしいのに、研修医がズラッと並んでいることもある。「せめて部屋にいるのは、2人ぐらいにならないですか?」って言ったこともありましたね。
 
照射があと5回となったとき、いよいよぐったりきて、起き上がれなくなってきました。仕事も一切休んでいなかったこともあって、本当にダルい。そんなとき、主人に「いまは残り5回の照射だけに集中しなさい」って言われて。「長い人生の正念場の5日間、ここで行かないで、どうする?」と思いましたね。

―その後は、どのような治療をしたのですか?

山田さん

5年間のホルモン治療に切り替わりました。毎日1粒、1円玉大の薬を飲み続けましたね。なかには更年期障害と相まって、具合が悪くなる方もいるそうなんですが、幸い私は症状が出なかったです。
 
ホルモン治療の薬って、半年分まとめて錠剤をいただくんですよ。なので、薬をいただいたら裏側のアルミ部分にマジックで日付を書くようにしました。アルミが空いていれば飲んだことがわかるので、飲み忘れ防止のためです。
 
そのうち、アルミ部分に日付だけでなく、スケジュールも書くようにしました。「この日はフジテレビに行く」とか、「この日は北海道」とか。そうすると薬を飲むことも励みになって、「あと3日で北海道だ!」って思えるじゃないですか。そういうことを5年間、ずっとやっていました。コレは、おすすめしますね。
 
乳がんの治療を進めていくと、子宮体がんを患うリスクもアップしてしまうんですね。乳がんになる前は婦人科の検診についてはおろそかで、調子の悪いときにしか行かなかったんですけど、がんになって考えが変わりましたね。「調子のいいときに行くところが病院だったんだ」って。病気になって16年も経っているいまだから言えることですが、「病院は自分の正常値を知るために行くところ」なんですよね。だから検診が欠かせないんですよ。

自分の未来が見える先輩と出会って

―10月はピンクリボン月間です。山田さんは長年乳がんに関する講演会などの啓蒙活動をされています。なかでも、チャリティ合唱団である「スター混声合唱団」で一緒に活動されている、倍賞千恵子さんとの出会いは大きかったようですね。

山田さん

がんになってすぐ、千恵さんにご自宅でお料理を教えていただきながら、話を聞いてもらったことがものすごく大きかったですね。もともと知り合いだったのですが、乳がんになってこんなに仲良くしていただけるとは思いませんでした。
 
千恵さんは、私と同じくらいの早期の乳がんを5年前におやりになっていて。「いまの調子、どう?」なんて聞いてくださって。「脇腹のところがつって痛いです」って言うと、「ああ、あるある! それ、1か月経つと、よくなるよ。そのうち、温泉にも入れるようになるよ」って教えてくれるんです。

―ちょっと先の未来が見える先輩の言葉はいいですね。

山田さん

そうなんですよ。5年先輩の意見がまたリアルで。ものすごく励みになったし、支えになりました。私も、いま乳がんで悩んでいる人、不安に思っている人に、千恵さんみたいに声をかけてあげられたらいいんだって思いましたね。
 
ある日、千恵さんがキラキラ光るピンクリボンをくださって。「私も乳がんになったときに前の方にもらったから、今度はあなたに」って。いまは私ももう元気になったので、次の方にそのリボンを差し上げました。
 
がんを経験していない方から「頑張って」と言われることも、それはそれでうれしいんですけど、やはり頭のどこかで「何も知らないのに?」とも思ってしまう。だけど、同じ経験をした人に声をかけられると、ものすごく心に沁みるんです。がんを公表してから、レストランにいても、飛行機に乗っていても、ほかのお客さんやCAの方が「私もがんです。一緒に頑張りましょう」ってメモをくださる。私が知らなかっただけで、世の中にこんなに大勢の仲間が頑張っていたんだって、しみじみするんです。
 
私、46歳まで、大勢で活動することが苦手だったんですよ。なにせピン芸の出なので。でもがんになってから、ものすごく性格が変わっちゃって。いまでは「スター混声合唱団」で、団長まで務めるようになりました。お友達がたくさんできたことは、本当に神様からのプレゼントですね。

考え方は極力シンプルに。がん患者として生きるための心得とは

―いまはネット社会で、先生の診察をきちんと受ける前に、自分でがんの情報を取り込む人が多いように感じます。

山田さん

私ががんになった当時から比べると、スマートフォンで簡単に情報が得られるようになりましたよね。でも、むやみに情報を取り込んでしまうのは、いまも昔も変わらないと思うんですよ。
 
私は本屋さんが大好きだから、行くと乳がんについて書かれた本をたくさん見るわけです。実際に読んでみると、自分の症状と合う箇所が1冊で2~3ページがいいところ。あとのページは自分とは関係のない話なんですね。それはネットだとしても本だとしても、変わらないんじゃないかな?

―自分自身の乳がんと向き合うためには、やはり先生のお話をきちんと聞くことが大事でしょうか。

山田さん

もう本当にそれしかないと思います。いろんな情報に惑わされちゃダメ。それは、ネットが発達したいまも昔も同じです。経験者の人もよかれと思って、あれこれ言ってくる人もいます。でも本当のことを言うと、そういう情報って、いらないんです。
 
私の講演会や勉強会には、「私、がんなんです」という方がたくさんいらっしゃいます。「本当? 頑張ろうね!」って言ったあとに、「それで、主治医の先生はなんて言ってたの?」「あなたの先生は信頼できる?」と必ず最初に聞きます。「先生との相性が100%だよ」って。先生が信頼できる人ならば、「あなたは不安に思わなくていいよ。不安は先生が全部持っていってくれるからね」って。

―自分の不安を先生が持っていってくれると考えたら、少し気持ちが楽になりますね。

山田さん

自分が抱えるべき問題と他者が抱える問題の切り分けは、私、昔からうまいのだと思います。だって、背負わなくていいことまで抱えてしまったら、みんな大変ですもんね。
 
あと、がんで本当に問題になるのは、ストレスなんですよ。がんになると、小さなことでがっかりしたり、はしゃぎすぎたりしてしまう。
 
がっかりしない人生なんて、ないですよ。でもね、がんはがっかりが大好きなんだよね。大事なのは、災難は長く続かないって気づくこと。「なんで自分だけがこんな不幸に……」って嘆いたとしても、人はみんな順番に難しいことを抱えて生きているんだって思うこと。そうすれば、次はきっといいことがあるって考えられるでしょう?
 
明るさはね、全部救っていくのよね。気分のよい時間が少しでも長く続くように、どうにかして皆さんに伝えられないかなと思って、啓蒙活動をしているんですよね。
 
私がメディアで乳がんについて語るとき、どんなに遅い時間でも内容について相談に乗ってくださった矢形先生は、あんなに大勢の人を救ったのに、ご自身は手遅れのがんであっという間に亡くなられたんです。がんで怖いのは「手遅れ」です。だからこれを防ぐには、検診しかないんです。
 
検診でがんのステージが進んでいたことが判明しても、いまは助かる場合が多いし、望みがあることを大勢の人に知ってもらいたい。手遅れだけがダメなんです。
 
お洋服についたお醤油のシミも、取るなら早いほうがいいでしょう? コレ、人間関係もそうですよ。人に言いすぎたら、早く謝ったほうがいい。検診を習慣にして、少しでも早く信頼できる先生に出会う。いい先生に出会ったら、ちゃんと信頼する。がんも人生も向き合うなら、考えはシンプルな方がいいですね。

CREDIT
取材・文:横山由希路 写真:小野奈那子 編集:HELiCO編集部+ノオト
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