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川村ひかるさん「3つの病気を経て、子育てを楽しむ40代へ」

グラビアアイドルとして人気絶頂だった22歳のときに子宮内膜症を発症。31歳で若年性更年期障害に、さらに35歳で脳動脈瘤が発見された、川村ひかるさん。

「20代と30代は病気のオンパレードでしたね」

当時をそう明るく振り返る川村さんは、いくつもの病気をきっかけに生活、そして自身の人生そのものを大きく見つめ直すきっかけも得られたそうです。

ホルモンバランスに左右されるつらさを知った20代、コンディションを整えることに取り組んだ30代、そして子育てに奮闘する40代の現在。それぞれのステージでの健康との向き合い方についてお聞きしました。

川村ひかるさん

1979年生まれ。トップグラビアアイドルとして活躍していた22歳のときに子宮内膜症を発症。その後、31歳で若年性更年期障害、35歳で脳動脈瘤の診断を受ける。病気や不妊治療をきっかけに自身の生活を見直し、発酵プロフェッショナル、健康管理士、妊活マイスター講師、分子栄養学カウンセラーなどの資格を取得。現在はタレント業だけでなく、実業家としても活動する。

1か月の半分は不調だったグラドル時代

―1990年代後半から2000年代前半にかけて、グラビアアイドルとして抜群の人気を誇った川村さんですが、不調を感じたのはいつごろだったのでしょうか。

川村さん

グラドルとして一番忙しかったまさにそのころ、20歳前後からです。
 
お仕事をたくさんいただいたのはありがたいことでしたが、真冬の水着撮影からの海外ロケといったようなハードな毎日の連続だったせいか、生理前の1週間はだるさや頭痛、体のこわばり、むくみなど、さまざまな症状に悩まされていました。
 
いまでこそPMS(月経前症候群)という症状があることが知られるようになりましたが、当時はまだ世間的にそこまで知られていなかったように思います。
 
さらに生理痛も重かったので、生理中は痛み止めの薬が手放せませんでした。排卵の前後から生理が終わるまでの約2週間はずっとそんな感じでしたから、1か月のうち半分は不調状態でしたね。
 
そうした状態がずっと続くので婦人科を受診したところ、子宮内膜症と診断されました。

―子宮内膜症は20代から30代の女性に多く発症する病気です。女性ホルモンの影響で症状が悪化するため、低用量ピルを服用して生理を止めるホルモン療法が有効だそうですね。

川村さん

私も低用量ピルの内服によるホルモン療法を勧められました。医師からも「子宮内膜症は生理のたびに悪化する病気なので、生理を止めてしまえば不快な症状は和らぐはずです」と聞かされましたから。
 
ただ、最初のうちは副作用がつらかったですね。むくみが悪化したり、食べ物の好みが変わって赤身のお肉やお刺身が生臭く感じられるようになったり……。いま振り返れば、妊娠初期の症状に似ていたかもしれません。
 
ようやく体が慣れてきたのは、服用して3か月を過ぎたころ。そこから30歳までの8年間、ピルの服用を続けました。

―ピルの服用以外に日常生活で心がけたことはありましたか。

川村さん

それまではまったく考えていなかった食事の栄養バランスに気を遣うようになりました。
 
当時はテレビ番組の収録や撮影現場でロケ弁を用意していただくことが多かったのですが、そこで私ひとりだけ「今日はもっとあったかいものが食べたいな」とは言いづらい。じゃあどうすればいいだろうと考えて、行き着いたのが自炊でした。
 
自分でつくった玄米おにぎりやお味噌汁を持参して、「お弁当はおかずだけいただきます」という形にすれば誰にも迷惑はかかりませんよね。そんなふうに少しずつ工夫しながら栄養バランスを考えるようになりました。

―それまでも料理をする習慣はありましたか?

川村さん

いえいえ、まったくしませんでした。だから最初は失敗ばかり。
 
ご飯を炊いたらなぜだかおかゆみたいに水っぽくなって、「こんなのどうやって食べるの!?」と兄に呆れられながらも、「市販のパックごはんと混ぜてレンジで温めればちょうどいいね!」なんて言いながら食べていました。天津丼をつくったときは、とろみが足りなかったのか卵がなぜか餡の上をプカプカと浮かんでいたことも(笑)。
 
最初のころはそんな手探り状態でしたが、栗原はるみさんの『ごちそうさまが、ききたくて。』(文化出版社)というレシピ本に出合えたおかげで、少しずつ料理の楽しさに目覚めていきました。ぬか漬けのおいしさにもハマって、自分で野菜を漬けるようにもなりました。

31歳でまさかの若年性更年期障害に

―20代後半には所属事務所からの独立など、グラドル時代とはまた違う忙しさがあったそうですね。

川村さん

そうですね。20代後半から30代にかけては、新しいことを始めようと慌ただしく活動していた時期でした。自分では意識していなかったのですが、仕事面でのストレスやプレッシャーを相当感じていたように思います。
 
ふたたび体に異変を感じたのは31歳のとき。
 
暑くもないのに手のひらが汗ばんだり、心臓がバクバクしたり、顔が突然ほてったり、毛穴がぱっくり開いたかのように頭皮から汗がどっと流れ出したり……。口のなかが乾きやすくなるドライマウスの症状まで。
 
「一体なんだろう?」と漢方医の友人に相談してみたら、「すぐに婦人科に行ったほうがいい。更年期障害と症状が同じだから」とアドバイスされ、再び婦人科にかかることに。
 
血液検査の結果、若年性更年期障害と診断されました。

―のぼせや動悸などは、まさに更年期障害の症状と同じです。31歳の若さでの診断はショックだったのでは。

川村さん

ホルモン値の結果を見た医師が、「過去に卵巣を取る手術をしましたか?」と私に聞いてきたんですね。「いえ、ありません」と答えたら、「卵巣機能の数値が低すぎる。卵巣を1つ摘出している人と同じくらいです」と言われて。
 
31、32歳は本来であれば女性ホルモンのバランスが安定する、いわば黄金期だそうなんです。それなのに、私の女性ホルモン値はとても低かった。排卵障害になっていたこともそこで初めてわかりました。
 
「このままの数値では、将来的な妊娠・出産は難しい。ここできちんと改善しないと」
 
医師にはっきりと言われて、ぱっと目が覚めました。もうこれは神様がくれたチャンスだと前向きに解釈して、自分の体と生活をとことん見直そう。そんなふうに意識がガラッと切り替わりました。

―出産を望むのであれば、30代は真剣にその選択肢に向き合う年齢です。

川村さん

ちょうどそのころ、私は自分の人生の10年計画書を書いていました。当時の私は好きな人もおらず、結婚の予定もまったくありませんでしたが、「35歳で子どもを産みたい」という気持ちがあったので計画書にもそう書き込んでいくうちに、「それならば、35歳までにベストなコンディションを保てるようにしておこう。結婚や出産のチャンスがいつ訪れてもいいように、いまから本気で生活と体質を改善してみよう」と決意が固まっていきました。

「35歳の出産」を目指して本気の体質改善

―体質改善のために、具体的にどんなことをされたのでしょう。

川村さん

子宮内膜症をきっかけに20代から健康的な食事を心がけていましたが、さらに食生活に気を遣うようになりました。自宅のぬか床で漬けた野菜を食べるのがそのころにはすでに毎日のルーティーンでしたが、それ以外にもいろんな発酵食品や玄米をさらに意識して食べるようにしましたね。
 
発酵食品って知れば知るほど本当に面白いんですよ!
 
夏場にぬか床を入れたバケツ容器を窓際に置いてしまって、帰宅後に見たらぬか床が膨張してバケツがパンパンに膨らんでいたこともありました。ぬか床が「かき混ぜてくれ!」と訴えているようで、菌のパワーってすごいんだなと感じました。

川村さん

海外旅行に出かけたときは、犬とぬか床を実家に預けたんです。「毎日は無理でも3日に1回はぬか床を混ぜてね」と母親にお願いしたのですが、帰国して引き取ったぬか床の蓋を開けた途端にツンと酸っぱい匂いがして、1回も混ぜてくれなかったんだな、とすぐにわかりました(笑)。でも、そんなところも「ぬか床がすねている」みたいで、なんだかかわいくて。
 
肌の調子や体調もすこぶるよくなったので、ぬか漬けだけでなく、そのうちに味噌や醤油も手づくりするようになりました。
 
食事以外で意識したのは自律神経をできるだけ整えること。若年性更年期障害の原因のひとつには自律神経の乱れがあるのですが、交感神経と副交感神経がスムーズに入れ替わるように、室内照明やスマホとのつき合い方に自分なりのルールを設けました。
 
お風呂上がりはメインの照明はつけずにダウンライトだけにする。入浴中も浴室の電気はつけずに、脱衣所から漏れる灯りだけで体を睡眠モードに持っていく。夜8時以降はスマホやテレビは見ない。朝起きたら、まずはカーテンを開けて陽の光を浴びる。
 
そうした健康を意識した生活を3年くらい続けていたころに、偶然出会ったのが主人でした。

結婚式よりも不妊治療を優先させた

―お二人が出会ったその日のことについても教えてください。

川村さん

主人とは私が35歳になる前にゴルフを通じて知り合いました。でも、初対面のときは私自身がゴルフ中に頭痛に襲われて心ここにあらずだったので、主人の記憶があまりないんですよ。
 
その頭痛があまりにもひどかったので1週間後に人生初のMRI検査を受けたところ、脳に2ミリほどの動脈瘤が見つかりました。
 
「家族の誰も脳の病気とは無縁なのに、なぜ私が?」とショックでしたね。すぐに治療できる段階ではなかったのですが、急に動脈瘤が大きくなる危険性が心配だったので半年に1回の定期検査を受けることになりました。
 
そのとき頭痛を心配してくれた彼と交際することになり、お互いの結婚の意志を確認してわりとすぐに妊活をスタートしました。

―ふたりで病院に行かれたそうですね。

川村さん

はい。長年、ホルモンバランスに悩まされてきた私としては、何よりも妊活を優先したかったんです。彼にもそう話して、妊活のためにすぐに2人で病院を訪れました。
 
妊活を始めるにあたっての検査結果は意外なものでした。
 
過去には「卵巣を取った?」と医師に確認されるくらい低かった私の女性ホルモン数値は、3年間の生活改善のおかげで正常値に戻っていたのですが、彼が無精子症(精液中に精子が認められない)であることがわかったからです。
 
そこからすぐに治療に取り組み、幸いなことに顕微授精(※)で妊娠に至って36歳で出産できました。脳動脈瘤のリスクがあったため帝王切開での出産でしたが、そのとき生まれた息子はもう小学1年生です。かわいくてしょうがないですね。
 
(※)ガラス製の針を使用して一つの精子を卵子に直接注入する、体外受精方法のひとつ

生活を変えて防げる病気もある

―最近では健康管理士、分子栄養学カウンセラーとして講演活動も行われています。40代の現在はどんなスタンスで健康と向き合われていますか。

川村さん

健康の大切さって病気になって初めて実感できるものですよね。私も子宮内膜症、若年性更年期障害、脳動脈瘤といろんな病気を経験してきましたが、そのおかげで未病の改善、つまり病気になる前に生活を整えることの大切さに気づけました。
 
ダイエットと同じで健康食品ってそのときどきの流行がありますよね。でも栄養素だけピンポイントで摂取しても長続きはしない。それよりもっと基本的なこと、朝起きたらしっかりとごはんを咀嚼して唾液を分泌させ、消化器官を目覚めさせるとか、3食を規則正しく摂るとか、そうしたことを日々続けるのがなによりも大事。
 
手っ取り早く野菜ジュースだけを飲んでも血糖値が急上昇するだけですし、タンパク質もそれ単体だとそこまでの量は食べられないんです。でも食物繊維が豊富な野菜と一緒だと、食べられる量も増えるし吸収率も上がる。
 
そうした基本的な栄養や健康の知識を知っておくことで、防げる病気はたくさんあるはずです。

―忙しさに負けて食事がおろそかになる経験は誰しもありそうです。婦人科疾患に悩まされた経験を踏まえて、働き盛りの女性たちにもアドバイスをお願いできますか。

川村さん

人生でなにを楽しみたいか、優先順位は人それぞれだと思いますが、体が元気であるからこそ、やりたいことを叶えられますよね!
 
そのためにはやはり3食きちんと食べて、さらに体力をつけることがすごく大切。だから、食事を抜いたり若い女性に多い「ランチ定食よりもフラペチーノ」を優先してしまうような食生活はお勧めできません。カロリーは同程度ですが、栄養バランスがまったく違いますから。フラペチーノやスイーツ類はほぼ糖質ですからエネルギー源にはなりますが、血糖値が急上昇すると自律神経の乱れを招きますし、余った糖は脂肪として体内に蓄えられてしまう。
 
そうした知識を増やしたうえで、できるだけ栄養バランスのいい食事を心がけてもらえたらと思います。
 
タンパク質を摂りたいときは、野菜と組み合わせるのはもちろんですが、納豆と卵、鮭と卵のように、一食のうちで2種類のタンパク質を食べる「Wタンパク質」を意識するといいですよ。

―普段から運動はされていますか?

川村さん

40代になってから体力がガタッと落ちたこともあって、今は週に1~2回ほどパーソナルトレーナーの方にレッスンを受けています。筋トレができないときは、なるべく移動を徒歩にしてひたすら歩きます。歩く時間もないときは、自宅では子どもの踏み台を使って昇り降りする運動で下半身の筋肉を動かすようにしています。
 
階段の上り下りでもいいので、とにかく5分でも10分でも体を動かしてみる。それだけでも血流が良くなりますから継続すると違いますよ。
 
40代になり、更年期に向けて体を整えています。女性ホルモンの原料となるのは脂質の一種であるコレステロールですが、私は痩せ型なので体脂肪もずっと低めだったんですね。
 
そこで、どうすれば健康的に体脂肪を増やせるのかを管理栄養士さんに相談し、オメガ3系脂肪酸をはじめとした良質な脂質やタンパク質をたくさん摂れる食生活を心がけています。
 
現代は女性も男性もみんなが忙しい時代ですよね。それでも、自分の体質に合った食生活や運動習慣を日々続けていくことで、防げる病気は必ずあるはずです。

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CREDIT
取材・文:阿部花恵 写真:小野奈那子 編集:HELiCO編集部+ノオト
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