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生湯葉シホさんエッセイ「検診はお風呂みたいなもの」

健康診断や検診を受けたほうがいいことはわかっている。けれど、なんとなく気が重い。そう感じている人は少なくないかもしれません。フリーランスのライター・エッセイストの生湯葉シホさんも、じつはそんなひとりでした。でも、ある検査の際に医師からもらった言葉が心を楽にしてくれたといいます。

生湯葉シホさん

東京在住。フリーランスのライター/エッセイストとして、Webを中心にエッセイやインタビューなどを執筆している。『別冊文藝春秋』に短編小説「わたしです、聞こえています」掲載。『大手小町』にてエッセイ連載中。

X:@chiffon_06

近そうでまだ遠い病院

歯医者さんの受付で次回の予約希望を尋ねられ、スマホのカレンダーを確認するとき、いつも祈るような気持ちになる。10日後あたりの平日がどうかちょうどよく空いていてくれ、と。どうやってもしばらく予定が空けられそうにないとわかると顔が引きつる。「では予定がわかりましたらお電話ください」と受付の方がにこやかに言う。私はその言葉に「はい」と答えながら、すでにちょっと遠い目をしている。おそらく自分からは電話できず、その歯医者さんから足が遠のいてしまうと経験上知っているからだ。

病院が、というか、病院に予約の連絡を入れるのが苦手だ。忙しい日がしばらく続いたあとで、病院を受診する必要があったことを不意に思い出すと憂鬱になる。「1週間後を目安に来院してください」と言われていたのに2か月経っちゃったな、みたいなことが頭に浮かんだり、「なんでもっと早く来なかったの」と怖い先生から注意されたときの記憶を思い出したりしているうちに、病院への連絡というごく単純な作業が、失敗のできない一世一代のイベントのように思えてきてしまう。

少し前、そんな戯言をなんとなくTwitterにつぶやいたら、予想に反する数のリアクションがあって驚いた。自意識過剰でワロタ、みたいな意見ばかりかと思って恐れおののきながらリプライ欄をひらくと、ほとんどの人たちが「わかる 行かなきゃなのにな……」と妙に切なげな口調で自分のことを省みており、ちょっとホッとしたのだった。なかには「産婦人科の検診がまさにそう」とか「メンタルクリニックの予約がそう」とおっしゃっている方もいて、理由や診療科はすこしずつ異なるにせよ、行かなければいけない病院から足が遠のいてしまう状況は多くの人に共通するものなんだなと、なんだかしみじみしてしまった。

歯科医院のように継続して通う必要のある病院でなくても、「初診」のハードルは高い。医師がぶっきらぼうで質問しづらいタイプの人の可能性もあるし、仕事や生活が忙しいタイミングであればあるほど、まあ、またの機会にさ……と、社交辞令めいた言葉を自分にかけてしまう。ささやかであっても不調や違和感を覚えることがあったなら病院に行ったほうがいい、というのは100%わかっているのだ。それでもなお、病院の受診というタスクは、どうしても先送りしがちになってしまう。

「あのね、とっても綺麗な脳ですよ」

そんな無精者の自分だから、「健康診断」というテーマでエッセイ執筆の依頼がきたとき、えらそうに書けることなんて何ひとつないのでは、と気持ちが一瞬暗くなった。けれど思い返してみると、私は検診に救われたことが片手では数えきれないほどある。検診によって胸部の腫瘍が見つかり手術をしたこともあるので、文字どおり「命を救われた」ケースもあるのだけれど、それ以上に印象深いのは、脳神経外科でCTを撮ってもらったときのことだ。

社会人になりたてのころだから、8年ほど前のことになる。慣れない仕事に悪戦苦闘することが続いたある日、ひどい頭痛と右半身のしびれを感じた。怖くなって「頭痛 しびれ」でGoogle検索をすると、サジェストされる病名は脳梗塞とか脳卒中のような緊急性の高いものばかりで(当時はキュレーションメディアによる質の低いヘルスケア記事が問題視されていた時期だった)、記事を読んでいるうちにしびれが一層ひどくなっていくのを感じた。

それでさすがに怖くなってしまい、脳神経外科を受診した。医師は穏やかな人で、私の話に耳を傾けると、「たぶんストレスから来ているしびれだと思うけれど、結果が見えたほうが安心するでしょうから、頭部CT検査をしますか?」と尋ねてくれた。

結論からいうと、病気の兆候はない、というのが検査結果のすべてだった。けれど、CT検査を終え、診察室に入るなり医師が言ってくれた言葉がいまだに忘れられない。医師はPCのモニターに表示されている、真上と真横から写した私の脳の写真をじっと見ていた。そしてこちらを振り返るなり、「あのね、とっても綺麗な脳ですよ」と言った。え? と私が半笑いで聞き返すと、「綺麗。脳がとっても」とゆっくりと繰り返した。

そのときの医師のスローモーションがかった唇の動きも、部屋にかかっていた小ぶりな絵画の色使いも、驚くほど鮮明に覚えている。何かが変わったわけでもないのに、脳が綺麗と聞かされただけで、体が上からクレーンでつかみ上げられたみたいに軽くなった。その後、転職したこともあってストレスが軽減し、それに伴って体のしびれも自然と薄れていったのだけれど、何よりも私の心を楽にしてくれたのは確実に、「とっても綺麗な脳」という医師のひとことだった。

その瞬間はなぜあんなにも体が軽やかになったのかわからなかったけれど、いま振り返ると私はあの脳神経外科で、脳の健康だけではなく、自分の生活習慣や心身の使い方をも「OK、その調子ですよ!」と肯定してもらえたような気がしたんだろうと思う。たとえば「素敵なメイクですね」とか「おしゃれですね」という褒め言葉ももちろんうれしいけれど、「脳」は自分で直接手入れしようがないし、人と比べてどうこう言われるようなものでもない分、想定外の角度から単独優勝を告げられた気分だった。歯医者さんで「よく磨けていますね」とふだんの歯磨きを褒めてもらったときのように、無性に誇らしい気持ちで満たされるのを感じた。

新社会人だった当時は先輩や上司に褒められる機会も怒られる機会も多かったけれど、30代にさしかかったいまは、どちらもぐっと減った。だからなおさら、落ち込むことや自信をなくすことがあるたびに、私はあのときの医師の言葉を思い出し、自分の脳の写真をPCから引っ張り出して見返すようにしている。私にもいろいろ短所はあるけれど、とりあえず脳はすごい綺麗なんだよな、と思うと、いつも不思議な勇気が湧いてくる。

検診はお風呂みたいなもの

自分自身の経験をしみじみと振り返って思うのは、検診ってお風呂みたいなものだよな、ということだ。病院で検査を受けて体に何らかの問題が見つかれば、それはいうまでもなく意味のあることだし、反対に何の異常もなかったとしても、安心とともに妙な肯定感がふわふわと舞い降りてくる。検査によっては料金がネックになってしまうこともあると思うけれど、基本的に「検診に行って後悔する」ことはほぼないはず。実際に入るまでは面倒で仕方がないけれど行って後悔したためしがない、という点でいえば、完全にお風呂と一緒だ。

私は昔からあまり体が強くないこともあって、元気で元気で仕方ない、という時期は1年を通じてほとんどない。それでも10代や20代のころは、疲れやストレスを感じても比較的短期間で回復できることが多かった。そういうときは心身のメンテナンスがおざなりになり、メイクとかエステのように、ニュートラルな状態の自分をややプラスの状態に持っていけるものに惹かれたのだけれど、最近は、不調がベースの自分の体調をいかにニュートラルに近づけられるかにばかり関心が向く。病院の受診や検診は、そういう類のメンテナンスの筆頭だよなとよく思う。

前述した胸部の手術を何度か受けている関係で、年1回は必ず定期検診をするように医師から忠告されている。そんな自分でも電話予約というハードルを前にするとためらってしまうのだから、いま目立った不調を感じていない人にとっては、忙しさの合間を縫って検診なんかを受ける理由がない、というのが本音かもしれない。

ただ私の場合は、胸の検診を「年1のデカいプロジェクト」ととらえるようになってからすこしだけ意識が変わった。検診自体をいちばん重要な「仕事」だと思うことで、普段の仕事を休んで行かなきゃいけないのか、という微かなうしろめたさから解放されるし、デカい仕事終わったからちょっといいものでも買いますか、と晴れやかな気持ちにもなれる。それに、自分の今後の心身のコンディションがかかっていることを考えれば、いちばん重要なプロジェクト以外の何物でもないというのは事実だと思う。

こんなことを書いてるんだから今年もちゃんと行かなきゃな、と思い、いま文字を打つのを中断して検診の予約をした。調べてみると、かかりつけの病院でこれまで電話のみだった予約がネット可になっていて、気持ちがにわかに明るくなった。もし、これを読んでくださっている方も「あったな、あの検診……」と何かが頭をよぎったら、ぜひいまの勢いで予約してみてほしい。後悔することはまずないです。

CREDIT
編集:HELiCO編集部+ノオト イラスト:あなんよーこ
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