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日常の景色が豊かに変わる。岡田悠さんの半日旅のすすめ

旅に出たいけど、時間がない。そう思っている人は少なくないかもしれません。だけど、旅をもっと自由に広義なものとして捉えたら、限られた時間や条件のなかでも、旅に出ることができるのでは……? たとえば日帰りよりもさらに短い「半日」でも、旅を謳歌することは可能です。『0メートルの旅』の著者であり旅をこよなく愛するライターの岡田悠さんに、短い時間で旅を楽しむ工夫について伺いました。

教えてくれるのは…
岡田 悠さん

会社員の傍ら、ライター・作家として活動。有給を全て旅行に費やす。著書に南極から部屋の中までの旅行記を収録した『0メートルの旅』(ダイヤモンド社)のほか、『10年間飲みかけの午後の紅茶に別れを告げたい』(河出書房新社)、『1歳の君とバナナへ』(小学館)がある。
X:https://twitter.com/YuuuO

やり残しがあるから、半日旅は無限ループ

―休日のほとんどを旅に捧げてきたという岡田さん。最近はどんな旅をしているのでしょうか。

岡田さん

このごろは、「半日旅」みたいなことをしています。育児中なので、保育園に子どもを預けて迎えにいくまでの9時から17時までの約8時間、ふらっとひとりで旅するみたいなことを意識的にやっています。日帰り旅行よりもさらに短時間で行って帰ってこられる気軽な旅ですね。

―8時間でどこに行くのですか?

岡田さん

東京の自宅から一番遠いところでよく行くのは静岡ですね。

―静岡!

岡田さん

新幹線を使うと、新横浜から静岡まで1時間弱で行けるんですよ。東京の自宅から新横浜までの移動も含めると往復3時間、現地では5時間くらい過ごせます。
 
静岡は神奈川よりは遠くて、愛知よりは近い。「のぞみ」が停車しないエリアなので、これまであまり足を運んだこともなかった。その絶妙な距離感がちょうどいいんです。毎回やり残しがあるから、何回も通っちゃうんですよね。

―やり残し???

岡田さん

最初に家族旅行で静岡に行ったとき、大井川鐵道のトーマス号に乗ったあと、サウナの聖地「サウナしきじ」にも寄ろうと考えていたんです。だけど、思ったよりも遠くて行けなかった。だから別の日にひとりで再訪したんです。
 
で、サウナに入ってぶらぶらしていたら静岡おでん街を見かけて、でも時間切れになっちゃって。それでまた別の日に静岡おでんを食べに行き、海を見てから帰ろうとしたら時間がきて、また別の日に行く……という感じです。
 
こうしてつねに「やり残し」をつくっておくと、腹八分目みたいな感じで、楽しい余韻が残ってその土地をまた訪れたくなる。それがループになるから、同じ場所に何度も向かっちゃうんですよね。

―欲張って予定を詰め込みたくなっちゃうのですが、それをしないのはなぜですか?

岡田さん

昔から旅の予定を立てるのが苦手なんです。計画を立てるのが好きというのも、それはそれでいいことだと思うんですが、僕の場合、行きたい場所を全部訪れようとすると、時間がないことがストレスになってしまう。限られた時間でも「また次も来られる」と思えば、ゆっくり旅を楽しめるんです。

―静岡以外でも、あえて「やり残し」をつくることはありますか?

岡田さん

あります! 最近、川に興味を持って多摩川沿いを散歩し始めたんですよ。多摩川って全長138kmなんですけど、下流から上流まで歩こうと思い立って、1回1時間程度4〜5kmずつ分割して歩いています。
 
帰りは電車やバスを使って、また別の日に前回の途中地点から再スタートするみたいな。最近始めたばかりなので、まだ20〜30kmしか歩けてないですけどね。

―なかなか壮大なプロジェクトになりそうですね(笑)。

岡田さん

おそらくゴールまで1年以上かかるでしょうね。一見大変そうに思えるかもしれませんが、じつはそんなことはまったくないんですよ。月に3回くらいしかやってないし、夏は暑くてサボると思うので。分割したほうが楽しみも続くから、好きでやってるだけというか。

―どんなところにおもしろさを感じますか?

岡田さん

まず、川はつねに流れているから、見ていて気持ちがいいですね。しかもいろいろな街にまたがっていて、近くに駅やバス停が必ずあるとも限らないから、普段だったら行かないエリアや道を歩くことになる。そうやって偶然出合うことになったものに触れ合うのがおもしろいです。
 
街ごとに河川敷の表情が全然違うんですよ。川崎競馬場の近くでは競走馬が車道を横断していたり。「自動車交通安全祈祷殿」という施設の近くに、地平線の向こうまで続いているような巨大な駐車場があったり。
 
それから、河川敷は「練習の宝庫」でもあって、サッカーやサックス、鳥の鳴き真似など、いろんな練習をしている人がいます。この前は、大きな急須を振り回しながら踊っている人がいて。あとで調べてみたら、中国の曲芸のようでした。

―たしかに河川敷って、何かの練習している人をよく見かけます。

岡田さん

歩くごとに街や人の様子がどんどん移り変わっていくのがおもしろいんです。川を歩くようになってから、新たに知りたくなったこともありますね。植生や鳥の種類の変化に興味がわいて、図鑑を買ってみたり。
 
どこから川が海になるのかを調べたくて、塩分濃度計を持ち歩くようにもなりました。まれに海から離れているところでも、逆流して塩分濃度が高くなっている場所があるんです。
 
上流のほうまでいくと、かなり自然に近づいて、いろんなことが変わってくるんだろうと思っています。

昔住んでいた場所も「旅先」になる

―旅を「分割する」のもそうだと思いますが、半日旅をより楽しむためのコツってありますか?

岡田さん

この前、3歳の子どもと遊ぶときに、「乗車するバス」と「降車ボタンを押すタイミング」を子どもに任せてみたんですよ。向かう先も降りる場所も子ども次第なので、思いもよらない場所に連れて行ってもらえるんです。目的地を他者に委ねる半日旅も、おもしろいかもと思いました。

―ちょっとしたミステリーツアーみたいでいいですね。

岡田さん

あとは、かつて住んでいた街に定期的に行ってみるのも楽しいです。僕は昔、五反田に8年住んでいたんですけど、そのときに通っていた歯医者の検診にいまでも通っていて。引っ越しても、前住んでいた街に片足を突っ込んでいる感じといいますか。

―それはハードルが低くていいですね!

岡田さん

数か月に一度五反田に行ってみると、帰ってきたような気持ちになる一方で、新しいお店ができて少し街の様子が変わっていたり。第二の故郷のような場所が引っ越しをするたびに増えていきます。

意識的に3歳の気持ちになって、目の前のことをおもしろがる

―さらにもっと身近なところに立ち返って、近所で旅のような気分を楽しむとしたら、どんなことが考えられると思いますか?

岡田さん

そうですね。見慣れた街でも、たとえば子どもが生まれるとベビーカーが目につくようになるような感じで、意識すると見えてくることっていっぱいあると思っていて。看板でも植物でも、なにかひとつのものを意識しながら歩くのも楽しいですよね。

―確かに、そういう細かな視野で街を歩くと、おもしろい発見や新しい気づきがありそうです。

岡田さん

それでいうとこの前も、交通案内板がなんかいつも違うなと近寄ってみたら、小さいアヒルのおもちゃが挟まっていて。

岡田さん

いつか撤去されるだろうと毎日通るたびにチェックしていたんですが、「今日もまだいた」みたいな日々が続いていて。だけどつい先日いなくなっていて、「ついにこの日が来た」と思いましたね。毎日使っている道でも、変化にドキドキできる場所があると、通るのがぐっと楽しくなります。

―そういう視点は、仕事にも活きてきそうですね。

岡田さん

いや、まったく活きません(笑)。通勤時間が楽しくなるくらいです。ただ、そういうものがないと、いろいろなことがデジタル化して便利になっていったとき、空いた時間で何をしようって思うんです。便利になることはいいことだけど、自分の場合、与えられたものを消費するだけでは、退屈すぎて心がいつか死んでしまう気がして。だから目の前のものごとを能動的におもしろがれたらいいなって。

―目の前のものごとをおもしろがるにはどうしたらいいですか?

岡田さん

そうですね……意識的に3歳児の心を持つことでしょうか。子どもを見ていると、目的に縛られずに一瞬一瞬を生きていて、ただそれをずっと積み重ねている。目の前のことを全力で楽しんでいるんですよ。そういう集中力や無邪気さはこれからもお手本にしたいですね。

旅の醍醐味は、いかに心を動かせるかどうか

―2020年に出版された著書『0メートルの旅』でご自身の「旅の定義」について書かれていました。半日旅をするようになって、旅に対する思いに変化はありましたか? 

岡田さん

特に変わっていません。「旅」という単語を辞書で引くと、「住んでいる土地を離れて、一時、ほかの離れた土地にいること」と書かれているんですよ。だけど、その「離れた土地」を物理的な場所に限る必要はないかなと思っていて。
 
2023年の夏、3年半ぶりに海外に行ったときにも実感しました。日本の出国審査もシンガポールの入国審査も、非接触型の自動ゲートに切り替わっていて、パスポートにスタンプを押されることもなく誰とも話さず入国できたんです。
 
ライドシェアも宿泊施設もネットで手配できたので、スマホを操作するだけで目的地まで辿りつけて便利に感じる反面、少し違和感みたいなものがあって。なぜなら、物理的には移動しているけど、精神的には移動していないから。遠く離れた土地に来たのに、遠さをあまり感じなかったんです。
 
その一方、近所であっても、1回も歩いたことのない道を見つけると、「こんな道があったんだ!」ってめちゃくちゃ興奮するんですよ。知らない場所やものに出合えるほうが遠くまで来ている感じがする。そんなこともあって、旅は物理的な距離の移動だけじゃないのかもしれないと。

―なるほど。アナログ的なものほうが、旅の魅力を助長するのでしょうか。

岡田さん

そういう面もあるとは思うんですが、僕はテクノロジーを使った旅にも大賛成です。もちろん日常から切り離されないという負の側面もありますが、スマホを完全に手放すみたいな旅は現実的じゃない。むしろスマホを上手に使うと、もっと旅が楽しくなると思います。
 
半日旅もそう。たとえば「大江戸今昔めぐり」というアプリは江戸時代の古地図で現在地がわかるようになっているんですが、使ってみるといつもの景色がまったく違って見えて楽しい。タイムトラベルしたみたいな気分になるんですよ。
 
あと、散歩している途中で見た草花の名前がわかったら楽しいように、飛んでいる飛行機や近くに来ている船がわかったら、より楽しみが増えると思っていて。そういう意味では、上空にいる航空機にカメラを向けると、どこに向かっている便なのかがわかるアプリ「Flightradar24 | フライトトラッカー」や、世界中の船を見つけられるアプリ「FindShip」もおすすめです。静岡に行ったときには、近くに地球深部探査船「ちきゅう」が寄港しているかどうかが楽しみで確認してみたりしています。
 
人とコミュニケーションを取るのが苦手だったり、旅の予定を立てるのが面倒だったりする人でも、こういうアプリやテクノロジーを使うと旅のハードルが一気に下がると思います。

―旅を最大限に楽しむためには、なんでも積極的に使ってみるとよさそうですね。

岡田さん

そうですね。僕自身、現地の人と交流するのも道を聞くのも得意じゃないし、予定を立てることや荷づくりなど旅行に関わる行動の多くを苦手としているんですけど、それでも旅ができているし好きでもある。
 
時間をかけて遠くまで行ったり、苦手なことを頑張ったりしなくても、川でもアプリでも、いつもとちょっと違う視点を持って半日出かけてみるだけで、旅の魅力を味わえると思います。

CREDIT
取材・文:船橋麻貴 編集:HELiCO編集部+ノオト イラスト:あべさん
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