人生100年時代を迎え、「老年学(ジェロントロジー)」という言葉が注目されています。老化というと、見た目の変化や体の機能の低下などマイナスな面が強調されがちですが、豊富な人生経験や精神的充足感などのプラスの面もあるはずです。老年学は、人が老いるということを、知能や心の状態なども含めて総合的に研究し、加齢に伴って起こる課題を解決していこうという学問です。
本記事では、老化とは何かを詳しく紐解きながら、「よりよく老いる」ためのさまざまなヒントを、老年学の専門家のアドバイスとともに紹介します。
- 教えてくれたのは…
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- 長田 久雄先生
- 桜美林大学名誉教授/客員教授・東京医療学院大学客員教授
同志社大学文学部文化学科教育学専攻卒業、早稲田大学大学院文学研究科心理学専攻修了(文学修士)。東京都老人総合研究所(現、東京都健康長寿医療センター研究所)、 東京都立保健科学大学(現、都立大学健康福祉学部) 勤務を経て、桜美林大学大学院教授(老年学)、同副学長、特任教授(老年学)を務める。専門は、老年心理学、健康心理学、臨床心理学、生涯発達心理学。2024年4月より現職。臨床心理士、指導健康心理士、博士(医学)山形大学。
[監修者] 長田 久雄先生:https://osadahisao.wordpress.com/introduction/
桜美林大学大学院:https://www.obirin.ac.jp/academics/postgraduate/
桜美林大学老年学総合研究所:http://www2.obirin.ac.jp/rounenken/
「老年学」とはどういうもの?
「老い」は、生物学的にいえば、すべての人に訪れます。それを「運命」と受け入れる人もいれば、見た目や体の機能の変化などから「焦り」や「恐れ」を感じる人もいるでしょう。
社会全体から見れば、日本は超長寿国になり、高齢者の健康保持・増進や自立が大きな課題となっています。「よりよく老いる」ことや「ウェルエイジング(※)」が、多くの人にとってより重要なテーマとなり、社会からも求められているといえます。
(※)加齢に抗うのではなく、心身ともに健康で年齢とともに上手に魅力を重ねていく生き方
老年学(ジェロントロジー)とは、人が老いるということを探求し、高齢者や高齢社会、加齢・老化による課題を解決しようという学問です。
老年学では、身体的な変化だけでなく、精神的な機能や心理状態、社会的な役割の変化も含めて包括的に理解することで、老化の実態に迫っていきます。また、高齢者が過去を思い出して精神的安定などを図る「回想心理学」や「死生学」なども含まれます。
老化に伴って身体的な衰えが生じることは不可避ですが、老年学の研究から、年を重ねても伸ばせる能力はあり、高齢者は私たちが抱くイメージよりもはるかに可能性に満ちていることや、精神的な面ではむしろ気力が充実する人も少なくないことなどが明らかになってきました。
そして90歳、100歳まで生きる高齢者では「老年超越」という、身体的に不調になっても、精神的に充実感や満足感を持てる状態に至る人もいることもわかってきています。
人の精神的成長や発達は、生涯にわたって続く
老化の理解を進めるうえで知っておきたいのが、老年学のなかにある「生涯発達」という考え方。「人は生涯変化し、発達し続ける存在である」というものです。
たとえば、アメリカの心理学者マズローは、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生き物である」という言葉を残しています。
若いころは圧倒的に獲得する部分が多く、成長するにつれできることが増えていきます。それが老年期になると、機能を喪失する部分(聴力、視力、体力などの衰え)が多くなり、発達度合いも個人差が大きくなって標準的・定型的でなくなるといった特徴があります。
しかし、知恵や見識など、経験によって獲得してきた部分もあります。精神の成熟度や心の充足感が増えていく場合もあり、人間としての成長が止まってしまうわけではありません。
経験によって磨かれる「結晶性知能」は、年をとっても衰えにくい
年をとると、記憶力や判断力などの脳の機能はやはり落ちていくのでしょうか。
人間の知能には大きく2種類あるとされ、1つは長年にわたる経験や、教育や学習を通して獲得していく「結晶性知能」、もう1つは新しい情報を獲得、処理・加工・操作する能力である「流動性知能」です。
結晶性知能:言語能力(語彙力)、理解力、洞察力、想像力、内省力、社会適応力など
流動性知能:新しい情報の獲得、図形処理能力、処理のスピード、直観力など
流動性知能は加齢に伴い衰退していきますが、結晶性知能は60歳ごろまで上昇し続け、高齢になってからも衰えにくいことがわかっています。特に語彙力は高齢になるまで維持されます。
よりよく老いるための準備。いつから始めるべき?
老化は徐々に変化していくように感じるかもしれませんが、人生には2度、老化が加速度的に進む時期があることがわかってきました。2024年8月に米スタンフォード大学とシンガポールの南洋理工大学の研究チームが「人は44歳と60歳前後で、急激に老化が進む」という結果を科学誌に発表しています。
変化の大きい時期には、いったん立ち止まる時間が必要です。40代、60代というタイミングを、心身のチェックやケアも含めて、これからの生き方などを見直すきっかけにするといいでしょう。
よりよく老いる・自分らしく生きるための5つのヒント
最後に、老年学の視点から「よりよく老いる」「自分らしく生きる」ために、いまからやっておきたいこと、持っておきたい心構えをご紹介します。
1まずは健康づくり、体づくりを
何をするにも体が資本、健康でいることは大前提。体が機能していないと、心はなかなかついてこないというのが現実です。個人差はあれど、自分なりにいい状態を維持していけるよう、どの年代でも体のメンテナンスやケアを続けていくことが大切です。『健康日本21(第三次)』でも示されているように、1日7,100歩を目標としたウォーキングなどの運動習慣やたんぱく質・ビタミン・ミネラルなどをバランスよく摂れる食事など、できることから始めてみましょう。
2少なくなっていく「余裕」を、自ら工夫してつくり出す
年をとることは、結局は「ゆとりがなくなっていくことだ」という研究者もいます。この場合のゆとりとは、「余裕」や「予備力」のことです。若いころは多少無理をしても心や体が応えてくれたけれど、その余力がだんだん小さくなっていくイメージです。
余裕が少なくなってきたらつくりだす。物事を整理して必要なものだけを選択する、行動をシンプルにする、割り切ってペースダウンするなど、工夫次第でそれは可能です。
この先も自分らしく生きていくためにも、老いを受け入れると同時に、「老いに甘えたり、老いを言い訳に使ったりはしない」ということも大切でしょう。
3変化への対応力や柔軟な考え方を養う
超長寿社会では、高齢者が社会との関わりのなかで自分の能力を発揮したり、存在感を持ったりすることが必要だと考えられ、それは生きがいといえるでしょう。
本人だけでなく社会も、高齢者が積極的に生きることを受け入れていくことが必要ではないでしょうか。ただしその際、高齢者自身が周囲との関わりを柔軟にすることや、自分自身の限界や可能性を適切に評価できることも不可欠です。
変化への対応力や柔軟な考え方を養うには、まず自分に染みついた先入観や固定観念に気づくことが大事です。多様な意見やさまざまなジャンルの情報に触れることも有効です。他者の意見や自分の知らないことについて、耳を傾けるように意識してみましょう。自分とは違う世代の人の価値観に触れてみるのも刺激になるでしょう。
4心の成熟に目を向ける
生理的老化には、「進行性」といって後戻りできないという原則があります。高齢期には体の衰えなどさまざまな喪失を経験しますが、一方で人は精神的には成長し、その人の主観的幸福感は向上していくことが明らかになっています。これを「エイジングパラドックス」といいます。
90歳ぐらいまで生きると、エイジングパラドックスの境地に達することが多いようです。自分という人間を総合点で考えるようにすると、前向きな気持ちが生まれてくるでしょう。90歳という年齢を楽しみに生きていくという考え方もありそうです。
5社会との関わりを持ち続ける
日本では、65歳以上の一人暮らしが増え続けています。高齢者の孤独・孤立の問題がよく話題になりますが、なかには一人で生活することを好む人もいます。
孤独でも不幸ではないという方もいます。しかし「独りでいることを好む人」であっても、社会的孤立による精神的健康度は低い傾向にあることがわかってきました。「社会的孤立」にある人や、何らかの理由でそれを強いられている場合には、心身ともに寿命に与える影響が大きいとされます。孤立の問題は社会で解決すべき課題です。
現在の老年学では、高齢者になり隠居してしまうのではなく、これまでの習慣をそのまま維持していくことが望ましいとされています。習い事やボランティア活動など、無理のない範囲で社会と関わっていきましょう。
よりよく生きるヒントを与えてくれる「老年学」
未曾有の超高齢化社会に生きている私たちは、ロールモデルがいないなかで、それぞれが「よりよく老いる」生き方を模索していくことになるのかもしれません。老化にはポジティブな面もあることを希望にしながら、自分らしいウェルエイジングを叶えていきましょう。