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有坂塁さんと考える「映画の余韻」とホルモン

私たちの体と心にさまざまな影響を与えるホルモン。笑ったり、涙したり、キュンとしたり、映画などの作品を通して、さまざまな感情を味わうことも、いくつかのホルモンを活性化させるといわれています。

移動映画館「キノ・イグルー」の代表であり、1日1本は映画館で映画を鑑賞するのが日課だという、有坂塁さんと一緒に“映画の余韻とホルモン”について考えてみました。

有坂 塁さん

2003年に中学校時代の同級生、渡辺順也氏とともに移動映画館「キノ・イグルー」を設立。フィンランド映画界の鬼才アキ・カウリスマキから直々に名付けられた「Kino Iglu」とは「かまくら映画館」の意。東京を拠点に全国のカフェ、書店、パン屋、酒蔵、美術館、無人島などで、世界各国の映画を上映している。Instagramでも毎日作品を紹介している。

▼キノ・イグルー
http://kinoiglu.com/
▼Instagram
https://www.instagram.com/kinoiglu/

余韻が長く続くのは、余白の多い映画

移動映画館「キノ・イグルー」の運営者として、これまで多くのメディアから取材を受けてきた有坂さん。しかし、映画の余韻が、私たち一人ひとりのホルモンをどのように活性化させているのかを考えることは、有坂さんにとっても斜めから投げられたボールだったようです。

有坂さん

映画の余韻とホルモンの関係性について聞かれるのは、今回の取材が初めてです(笑)。
 
これまで観たなかで、余韻が深かった映画というと、それはもうたくさんあるんですが……。最近だと、それこそ昨日観た『熱のあとに』(2023)も、とても余韻の深い作品でした(取材時:2024年6月下旬)。鑑賞後、月に一度のオンライン配信をする仕事が入っていたのですが、なかなか頭を切り替えられなかったですね。

学生のころ、友人たちと夏祭りに行く約束をしていたものの、直前に鑑賞した『ショーシャンクの空に』(1994)の余韻にとらわれ、予定をキャンセルしたこともあるという有坂さん。
有坂さんにとって、余韻が深く長いのは、どんな映画なのでしょうか。

有坂さん

余白の多い映画のほうが、余韻の持続性は長いと感じています。反対に、ものすごくカタルシスを感じるような痛快な展開の映画には、「おもしろかった、気持ちよかった、スカッとした」という余韻がありますね。もちろんそういった映画も大好きなんですが、余韻の持続性でいうと短いのかな、と。具体的な作品名を挙げると、クエンティン・タランティーノの『デス・プルーフ in グラインドハウス』(2007)なんて、ここ数十年で観た映画のなかで一番カタルシスを感じる映画でした。しかし、一度観ただけでは映画の全体像をとらえ切れないような、「理解できない部分=余白」が多い映画こそ、余韻が長く続くんだと思います。

「?」が多い映画のほうが、鑑賞後もアレコレと考えや思いを巡らせることになる。だからこそ、映画の余韻が続く。有坂さんは、そのわからなさを「パズルのピース」に例えます。余白の多い映画に散りばめられた、たくさんのピースを、自分が納得できるように当てはめていく。わからないけれども、納得はしたい、という欲が、より映画の余韻を引き立たせるのかもしれません。

有坂さん

バッドエンドの映画=『ダンサー・イン・ザ・ダーク』といわれるほど、悲しく切ない終わりを迎える作品です。これって物語だけじゃなく、映画のつくり方にも表れていて。この映画は、何台もの手持ちカメラを使って、ミュージカルを撮っているんですよ。
 
ミュージカルというのはある意味、ハリウッドがもっともキラキラしていた時代の象徴ともいえます。フレッド・アステアやジム・ケリーが活躍していた、とても華やかな世界。
 
でも、この『ダンサー・イン・ザ・ダーク』が表現しているのは、ブレブレの手持ちカメラでとらえた日常です。きっと私たちがミュージカルに求める映像とは違うものが映っているし、ブレる映像だからか観ている側の心も安定しない。きっと、この映画の作り手はそれを狙ってやっているんですよね。

多くの人の心に「バッドエンドの映画」として残っているという『ダンサー・イン・ザ・ダーク』。しかし、物語がバッドエンドかハッピーエンドかは「映画の余韻には関係ない」と有坂さんは言います。余白のある映画、思わず考え込んでしまう作品ほど、私たちのなかで映画の余韻は長引き、さまざまな感情を誘発するのかもしれません。

感想を言葉にするのは、後まわし

映画を観たあとの余韻で味わう気持ちを、うまく言葉にできない。そんなふうに感じる方も多いのではないでしょうか。有坂さんは「映画の感想を、すぐに言葉にできなくても何の問題もないと思います。むしろ僕は、言葉にしちゃいけないとさえ考えているんですよ」と話してくれました。

有坂さん

映画には、映像はもちろん、物語や衣装、音楽、美術、俳優の演技などさまざまな要素が含まれています。それぞれのプロフェッショナルが意見をぶつけ合いながら、一つの世界をつくっていくのが映画です。みんながバチバチとぶつかり合いながら、最終的にパンッ! と弾けたものが映画というもの。それなのに、感想を言葉で定義するのって難しいと思いませんか?

有坂さん

もちろん、映画の感想を無理やり言葉に落とし込むことはできるかもしれない。でも、それはあくまで、自分が感じた大きなものの、ほんの一部でしかありません。言葉で定義できないからこそ、映画の余韻は残る。
 
言葉にして納得したいという気持ち、わかりますよ。でも、納得したらそれで終わってしまいませんか? 映画の余韻を持続させる方法があるとしたら、僕は、できるだけ感想を言葉にするのは後まわしにしたほうがいいんじゃないか、と思います。

世のなかには、たくさんの映画と、それらを凌駕するほどの感想が溢れています。「この映画、最高だった!」「私には、ちょっと合わなかった……」「とにかく泣けて仕方なかった」など、鑑賞者それぞれのフィルターを通した言葉に触れるたびに、いつしか「この映画にはこういう感想が正解だ」という、ありもしない“定義”に囚われてしまう瞬間も、あるのではないでしょうか。

有坂さん

人は言語化したがる生き物です。でも、自分が暮らしていくなかで、いったいどれだけのことを言葉にできると思いますか? 自分が普段生きているなかで、目に飛び込んできたものや音、そういうものをどれだけ言葉にできるかっていったら、99%できないっていうじゃないですか。見たもの、聞いたもの、触れたもの……それらすべてを言葉にすることに引っ張られ過ぎてしまうと、人としての自分のポテンシャルを制限させちゃうんじゃないかって、僕は思います。
 
感想や余韻の一端を言葉や文字にすれば、SNSで発信できて、それをきっかけに大切な誰かと繋がれるかもしれない。でも、だからこそ、どんなタイミングで言葉を使うかを自分の頭で考える。そうすれば、もっと日常は豊かになるんじゃないでしょうか。

映画の余韻を邪魔するもの

映画の余韻をより深く味わう方法について、たっぷり語ってもらいました。ここでふと、有坂さんにとって映画の余韻を邪魔するものはあるのだろうか? という疑問が湧いてきました。

有坂さん

すごく覚えている体験があります。『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(1999)という映画を、渋谷のシネマライズ(2016年に閉館した映画館)で観たあとのこと。この作品は、『PERFECT DAYS』(2023)のヴィム・ヴェンダース監督が手がけた、キューバの音楽ドキュメンタリー映画です。本当に自分がその場にいるような空気感を感じるような映像に、もう、本当に、打ちのめされるほど感動したんですよね。

有坂さんにとって、この『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』は、初めてキューバという国やキューバ音楽そのものに触れた、思い出深い作品。ハバナをはじめとするキューバの町の風景はもちろん、ミュージシャンが各々のペースで自分たちの音楽を奏でる、自由な空間に魅了されたそう。

有坂さん

まさに余韻冷めやらぬままに、パンフレットを買って劇場を出ました。シネマライズは渋谷PARCOの向かいの、スペイン坂を上がったところにあった映画館です。ちょうどスペイン坂を上がってくる二人組がいて、すれ違ったんですよね。そうしたら、そのうちの一人が「アイツ、マジ超ムカつく!」と言っていて、その言葉がスッと頭に入ってきちゃって……。映画の余韻が、一気に消えた瞬間だったんですよ。

もちろん、その人たちが悪いわけではありません。それでも、せっかくの映画の余韻がキレイさっぱりなくなってしまった……。この経験が、有坂さんにとって「映画の余韻を味わう時間について、しっかり考えないといけない」と感じたきっかけだったといいます。

有坂さん

映画の余韻を邪魔してしまうものは、予期せず受け取ってしまう他者の『言葉』と『日常』でしょうか。たとえば映画を観終わって外へ出た瞬間にスマートフォンの電源を入れるのも、僕としては避けたいことです。電源を入れた瞬間に、自分のなかの『日常』のスイッチも入ってしまうから。
 
僕は映画館を出たら、近くの喫茶店に入ってコーヒーやお酒を飲みながら、パンフレットを広げて映画を観て感じたことや、その映画の世界観を体に染み渡らせていく時間をとるようにしています。鑑賞時間+1時間までを、映画の時間ということにしているんです。
 
いろんな日常から解放されて映画と向き合うと、自分の心の奥まで潜ることができる。せっかくの1回の映画体験を余韻も含めてどこまで深められるかは、自分で決められることなのかなと思います。

映画のワクワクも余韻も楽しもう

最後にあらためて、映画の余韻とホルモンの関係性について、有坂さんに問いを向けてみました。映画の余韻を経て、自分のなかで変化を感じる瞬間はありますか? と。

有坂さん

これまで映画の余韻を、ホルモンと関連付けてみたことはなかったんです。でもやっぱり、映画を観ることのおもしろさって、『知らない世界に触れられる』ところにあるじゃないですか。いまはタイムパフォーマンスの時代。配信サービスを使えば、家でも移動中の電車のなかでも好きなときに映画を観られます。倍速視聴もできるし、レコメンド機能によって自分好みの作品が観られる。でもそれって、自分の想定外の世界に予期せず触れる楽しさが、どんどん奪われ続けている……ということでもあると思うんです。

ただの暇つぶしの手段として、映画を観ることは避けたい。およそ2時間で、行ったことのない国へ行き、知らない人の人生を追体験できるのが、映画の持つ特別性。「本当に、気づきだらけなんですよ、映画は」と語る有坂さんの目は、いつまでも、どこまでもキラキラしています。

有坂さん

映画を観る前と後とでは、確実に自分のなかに変化が起きているはず。その変化の理由は、きっと、余韻が収まってからじゃないとわからないんです。僕は医療の専門家ではないのでホルモンについて解説はできませんが、映画を観て、内側から湧き出る感情が止まらなくなったり、何か行動を起こしたくなったりしたら、それはきっと、何かしらのホルモンが影響しているんだと思いますよ。

「たとえば、この映像はね……」と、有坂さんが過去の上映会の動画を見せてくれました。スマートフォンの画面には、とある映画を鑑賞中のたくさんの子どもたちがいました。それぞれ、声を上げたり立ち上がったりと、思い思いに映画を楽しんでいます。

有坂さん

この子たち、どんな映画を観ていると思いますか?
 
正解はね、サイレント映画です。ハロルド・ロイド、バスター・キートン、チャールズ・チャップリンという、三大喜劇王のサイレント映画を観ています。登場人物の声やセリフのない作品ですが、だからこそ、わかりやすいんですよ。物語の展開を、表情やアクションで伝えなければならないから。子どもたちが「危ない、危ない!」と言っているのは、登場人物がビルをよじ登っているシーンですね。

移動映画館『キノ・イグルー』の活動において、有坂さんはさまざまな環境下で、映画の上映会をおこなってきました。街中のカフェで10〜20名ほどで椅子を寄せ合って観る日もあれば、大型商業施設の屋外スペースで何千人規模の人々がピクニックシートを敷いて映画を観るイベントも手掛けるなど、枠にはまらない映画体験を提供し続けています。
 
「もっと、映画を楽しいものだと思ってほしいんです。『楽しい!』から、すべてが始まると思っているので。名作映画に詳しくなくても大丈夫、たった一つでも好きだと思える映画があれば、一緒にその話をしたいですね」と笑う有坂さんのメッセージは、これからも多くの映画とともに、余韻となって浸透していくのでしょう。

CREDIT
取材・文:北村有 写真:小野奈那子 編集:HELiCO編集部+ノオト
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