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食通・さとなおさん「アニサキスアレルギーになって見えたもの」

『ファンベース』などの著書で知られるコミュニケーション・ディレクターの佐藤尚之さんは、2018年に突如「アニサキスアレルギー」を発症しました。一過性の食中毒である「アニサキス症」ではなく、基本的に魚介類や出汁が食べられなくなるアニサキスアレルギーの発症は、地方の食文化に関心を持ち、食にまつわる本も多数執筆してきた食通の「さとなお」さんの人生を大きく左右する出来事でした。発症から現在までのさとなおさんの内省と再生の日々、さとなおさんを支える周囲の人々についてうかがいます。

佐藤尚之さん

1961年生まれ。1985年電通入社。コミュニケーション・ディレクター&クリエイティブ・ディレクターとして数々のコミュニケーション開発に従事し、2011年に独立、2019年5月にファンベースカンパニーを設立した。佐藤尚之名義では17刷となった『ファンベース』(ちくま新書)をはじめ、『明日の広告』(アスキー)、『明日のプランニング』(講談社)など広告に関する本を執筆し、さとなお名義では『うまひゃひゃさぬきうどん』(コスモの本)、『極楽おいしい二泊三日』(文藝春秋)といった食にまつわる本を執筆する。美術検定1級(アートナビゲーター)を取得し、TCS認定コーチでも大阪芸術大学客員教授でもある。
 
Twitter:https://twitter.com/satonao310
Facebook:https://www.facebook.com/satonao/

INDEX
「アニサキス症」とは違う、「アニサキスアレルギー」とは
食べることが生きがいなのに「一生魚が食べられない」
患者に伴走し続ける、心強い主治医との出会い
アレルギーを啓蒙したい。アニサキスアレルギー協会設立へ
食事の楽しみは失ったけれど、大切な仲間は去らなかった

「アニサキス症」とは違う、「アニサキスアレルギー」とは

アニサキスとはサバやアジ、サンマ、カツオ、イワシ、サケ、イカといった魚介類や、クジラやイルカなどの海棲(かいせい)哺乳類に寄生する寄生虫のこと。生きたアニサキスが胃や腸などの内臓壁に突き刺さることで激しい痛みや嘔吐を招く食中毒の「アニサキス症」と違い、「アニサキスアレルギー」は、アニサキスのタンパク質がアレルゲンになり得るもので、アニサキスのカケラや死骸にも気を配らなくてはなりません。

つまり、このアレルギーになると、生の魚介類のみならず、焼き魚や煮魚もダメで、アニサキスのタンパク質を含む可能性のある出汁や魚介エキスを使用した加工品も食べると反応してしまう可能性があります。出汁を使った和食文化の日本においては、食の選択肢が大幅に狭まってしまうのです。

食べることが生きがいなのに「一生魚が食べられない」

―さとなおさんがアニサキスアレルギーとなった経緯を教えていただけますか?

さとなおさん:2018年3月のことでした。その日は友人と僕と家族の5人で友人が営むイタリアンレストランで楽しく食事をして、夜に自宅へ帰ってきました。夕食を食べて3時間ほど過ぎた深夜1時ごろ、急に体がかゆくなり、強烈な吐き気に襲われて、苦しみながら4回ほど嘔吐してしまったんです。ふと鏡を見ると、自分の顔が真っ赤に腫れ上がっていて、そのときは食中毒かなと思い、しばらく居間のソファで休んでいました。

数分後、呼吸をするだけで喘息のように喉がヒューヒューと音を立てるようになり、「これはまずい」と思い妻を起こすと、僕の腫れた顔を見て血相を変え、「今すぐ病院に行こう」と病院に連絡を入れてくれました。タクシーを飛ばしていざ救急病院に着くと、血圧は上が60、下が20。意識が朦朧としてきて、変な話ですけど「死ぬときって体がふわふわしてこんな気持ちのよい感じなのかな」とかぼんやりと考えていましたね。「こんな気持ちいいなら死ぬのも怖くないなぁ」とか(笑)。あとで思えば、呼吸が苦しくなって血圧が下がる「アナフィラキシーショック」状態にすでになっていたんですね。いつ死んでもおかしくない状態です。体のかゆみや蕁麻疹(じんましん)、嘔吐はその前兆だったと思います。

そうこうするうちに救命病棟に運ばれて、周りに医師たちが4〜5人駆け寄ってきてアドレナリンを打ったり鼻から酸素吸入をしたりなどの処置をしてくれました。アドレナリンを打つとあっさりとアナフィラキシーショックは収まり、数時間で回復傾向に向かい、翌朝にはケロリとしていました。

さとなおさん:翌朝、医師からの問診で「前日に何を食べましたか?」と聞かれたのでシェフに連絡をしたところ、ありがたいことに前夜の料理で使った食材を細かく書いて教えてくれました。そのメモから疑わしいものをリストアップして、発症から1週間後にアレルギーの血液検査(特異的IgE抗体検査)で調べてもらうことにしました。

卵白、卵黄、牛乳、チーズ、牛肉、エビ、サバ、トマト、じゃがいも、たまねぎ、アサリ。いろいろリストアップしたんですが、一番怪しいのは滅多に食べないタンポポだと思っていましたね。頻繁に食べるものが急にアレルゲンになるとか、よくわからないじゃないですか。また、一緒に食事をした僕以外の1人に食中毒であるアニサキス症の症状が出ていたため、アニサキスも検査項目に一応加えました。

すると、IgE検査の結果はアニサキスのみクラス5、測定値では90以上というものすごく高い数値で、タンポポをはじめ、ほかの食材にアレルギー反応はありませんでした。医師から「アナフィラキシーを起こしているので次も命に関わる。魚はもう食べない方がいい」と言われ、あまりに突然のことで呆然としました。アニサキスがいたのはたぶん「サバのマリネ」ですね。

僕は魚が大好きで、人生の後半は自分で魚を釣ってさばいて、鮨が握れたらと思い、鮨教室まで通っていたほどです。もともと食好きで、毎朝目覚めるとすぐ「今日はどこで何を食べよう」と考えるくらい食べることを愛していました。食の本を10冊ほど書いたり、レストランガイドを主宰していたりもしました。いやもう、いつも食のことばかり考えていましたね。

そんなふうに、食べることを生きがいにしてきた僕がアニサキスアレルギーになったのは、まさに青天の霹靂。40年以上にわたる食に関する積み上げをすべて失ったような、ほとんど絶望に近い感覚でした。魚がダメなら肉がある、って励ましてくれる方もいましたが、日本人で魚や出汁を失うって「和食を失う」に近いことなんです。和食好きな僕にとってはもうなんというか……。

しかも僕はまったくアレルギー体質ではなく、今まで花粉症などのアレルギーとも無縁だったんです。食中毒のアニサキス症になったこともありませんでした。こんなことってあるんだ、と呆然としました。

しかもこのアニサキスアレルギー、症例がとても少ない、ひどくマイナーなアレルギーだったんです。検索してもほとんど情報が出てこない。途方に暮れていたところ、昭和大学病院でアニサキスアレルギーを専門的に診ている鈴木慎太郎医師に出会いました。

患者に伴走し続ける、心強い主治医との出会い

―昭和大学病院の鈴木慎太郎先生との出会いについて教えてください。

さとなおさん:発症してから約1か月半後、僕は自分の身に起こった出来事を自身のサイトである「さとなお.com」やnoteに「アニサキスにあたって、一生ほとんどの魚が食べられなくなった話」というタイトルを付けて、長文で書き記しました。情報があまりに少なかったので、まずは体験を共有して他の方の役に立てたら、と思いました。その内容を鈴木先生がネット上で見つけ、僕にメールをくれたんです。

▼アニサキスにあたって、一生ほとんどの魚が食べられなくなった話 (update版)
https://note.com/satonao310/n/n16c6fbaef981

「今度、日本アレルギー学会でアニサキスアレルギーについて話すので、そこでぜひ佐藤さんのnoteを紹介したいのですがよろしいですか? そして、もし良かったら佐藤さんも学会に話を聞きに来られませんか?」とのことでした。

学会で鈴木先生が話されるのを拝見して、八方塞がりだった僕は恐る恐る鈴木先生に聞きました。「先生に僕の診療をお願いしてもよいでしょうか?」と。すると、「大丈夫ですよ。佐藤さん、もしかするとアニサキスアレルギーが治る可能性もありますよ」と言われて。僕はもう、大好きだった魚が一生食べられないんだと思って本当に落ち込んでいたんですけど、「この食物アレルギーと闘えるんだ」と思ったら闘志が湧いてきました。たとえ負けたとしても、一度闘ってみれば諦めがつくからです。

さとなおさん:鈴木先生と相談した結果、約3年間、「アニサキスのアレルゲンを含む可能性がある食材の完全除去」をしてみよう、ということになりました。完全除去によって血液中にあるアニサキス特異的IgE抗体の量を減らし、体内に侵入してきたアレルゲンに対する体の過剰な免疫反応を避け、IgE値を下げたうえで「経口減感作療法(※)」に移ろう、という治療方針でした。小児食物アレルギーなら最初から減感作療法でも効きやすいらしいのですが、成人食物アレルギーは免疫細胞の反応がなかなか変わりにくいので、まずは抗体の量を減らして、それから減感作へ、ということですね。

※経口減感作療法とは…アレルギーの原因となるアレルギー物質(アレルゲン)をごく少量ずつ投与することで、アレルゲンに対して体が反応しないようにするための治療

【アレルギーが起こるメカニズムについては下記ページで詳しく解説していますので、ぜひあわせてご覧ください】

アレルギーはなぜ起こる?発症のメカニズムを知ろう
花粉症をはじめ、アトピー性皮膚炎や気管支喘息、食物アレルギーなど、たくさんの種類がある「アレルギー疾患」。今や日本人の2人に1人がなんらかのアレルギー症状に悩まされているといわれるほど、とても身近な疾患です。

一方で、「アレルギー反応が起こるメカニズムについては理解できていない」という声も聞こえてきます。この記事では、発症のしくみや検査のことなど、病院で診察を受ける前に知っておきたいアレルギーの『基本のキ』を紹介します。アレルギーと上手に付き合っていくためにも、まずは正しい知識をきちんと得ることから始めましょう。
https://helico.life/monthly/230102allergy-kiso/

さとなおさん:アニサキスは魚介類や海棲哺乳類に寄生する寄生虫なので、このアレルギーにかかるとアニサキスのタンパク質を含む可能性のある魚介類のみならず、魚介類の加工食品が食べられなくなります。日本には、出汁や魚介エキスの入った食品が非常に多いので、コンビニにあるもので僕が安心して食べられるのは卵かチーズぐらいになりました。

厳格に完全除去をするとなると、「タンパク加水分解物」や「調味料(アミノ酸等)」などと表記があるものも避けないといけませんと言われました。可能性は薄いものの、魚介由来のタンパク質を使用している可能性があるからです。また、肉系の加工品も意外と魚出汁とか魚介エキスを使っているんです。弁当にもサンドイッチにもわりと使われていたりします。意外かもしれませんが、おせんべいやスナック類もかなり魚介エキスなどを使っていることが多いんです。そういうものをすべて食べない、かなり厳格な完全除去に3年トライしました。

ただ、結果として負けたんですよね(笑)。2022年6月まで3年間頑張ってアレルゲンを含む食材の完全除去に挑んできたものの、結果としてIgE抗体量が目覚ましく減ることはありませんでした。数値が下がる人も多いなか、僕は残念ながら下がらなかったのです。ある程度年齢のいった人は、完全除去をしてもIgE抗体量が減らないこともあるそうなんです。もちろん「あぁ、もう一生魚は食べられないんだ」とかなり落ち込みましたが、負けがはっきりした時点で少し開き直ったというか、まぁ「できることはすべてやったな。仕方ない」という気持ちにはなりました。

翌月からは「経口減感作療法」に切り替えました。そう、IgEの数値は高いままなのですが、食べられるものを少しずつ増やして行くために試しにトライしてみよう、と鈴木先生と話し合いました。まず解禁したのが、おせんべいなどのお菓子類。大好きだったので4年ぶりに食べたときは泣けました。そこから、出汁やエキスを体に慣れさせるため、インスタント味噌汁を週1回からスタートさせて、次に3日に1回、そして今では毎日インスタント味噌汁が飲めるようになりました。段々慣らしていけば、そのうち、うどんやそば、鍋などの出汁も食べられるようになるかもしれません。

さとなおさん:こうやってゆっくり体に慣らしていくと、居酒屋での和え物など多少出汁が効いたメニューが食べられるようになるかもしれません。もう少し治療が進むと缶詰の加工食品も食べられるようになるかも、と少しずつですが希望は湧いてきました。鮨や刺身を含め、生ものは一生無理かもなぁと思っていますが、完全除去のときよりは気持ち的に楽になりましたね。当時は食べられるものがあまりに少ないため、物理的にも精神的にもなかなか人と会食とかできなかったのですが、今ではたまに誰かを誘えるくらいまでにはなってきましたね。

―さとなおさんにとって鈴木先生はどのような存在ですか?

さとなおさん:僕らに伴走して救ってくださるありがたい方ですよね。専門医がとても少ないこともあって、日本全国からアニサキスアレルギーの患者さんが鈴木先生のもとを訪れるので、最近では非常に混んでいて先生にもなかなか会えないんですが(笑)。アニサキスアレルギーって症例もまだ少なく、治るか治らないか未知な部分も多いのですが、鈴木先生は患者を見捨てることなくどうにかしようとしてくださる。道を切り開いている、我々にとっては希望の先生です。

アレルギーを啓蒙したい。アニサキスアレルギー協会設立へ

―さとなおさんは自らの治療をするだけでなく、2021年にアニサキスアレルギー協会を立ち上げます。この協会設立のきっかけはどのようなものだったのでしょうか?

さとなおさん:きっかけは3つありました。

1つは僕が立ち上げた「アニサキスアレルギー友の会」というFacebookグループ(参加者1000人以上)のオフ会です。新型コロナウイルス感染者の増加から、実際にオフ会の実施はままならなかったのですが、幹事が集まったときに「アニサキスアレルギーの啓発のためにも、患者同士のつらさの共有のためにも、一般社団法人にしていったほうがよいよね?」という話になったんです。

2つめは患者さんが大勢お世話になっている鈴木先生との会話です。アニサキスアレルギーがマイナーである限り、研究費も増えていかないことを知りました。このアレルギーはある日突然やってきて、命の危険にもさらされるので、毎日の食事がヒヤヒヤなんですね。料理人の方にはこういうアレルギーがあることを知っていただきたいし、厚生労働省にもわかっていただきたい。だから患者と医師が協力して、このマイナーなアレルギーの認知度を高めて、啓発していこうという話になったんですね。鈴木先生にも理事になっていただき、アニサキスアレルギーの症状が詳しくわかるサイトもつくりました。

現段階ではアレルギー28品目(※)の中にアニサキスは入っていません。「大豆」とか「エビ」とかと一緒に「アニサキス」という文言はなかなか入りにくいと思うのですが、食中毒のなかでもアニサキス症はかなり多いため、世間に広めていきたいですね。

※食品表示法でアレルギー表示することが定められている「特定原材料」の7品目と、表示することが推奨されている「特定原材料に準ずるもの」の21品目、これらの項目をあわせた28品目のこと

さとなおさん:3つめは、本を書いたりレストランガイドを主宰するくらいは食に詳しい僕がアニサキスアレルギーになったのは、もはや使命かもしれないと思ったこと。僕の周りには食に詳しい人やシェフがたくさんいる。頑張って協力してくれる仲間たちと力を合わせれば、患者さんたちのクオリティ・オブ・ライフを上げられるかもしれない。協会化することで、患者の皆さんが少しでも楽しく生きられるようになればいいなと思いました。なにしろ毎日の生活が苦痛に変わるのがこの食物アレルギーです。患者同士励まし合って生きていければと思っています。

2022年末は、アニサキスアレルギーの人でも食べられて、食通の人に羨ましがられる「スパイスおせち」も協会から発売しました。新宿にあるカレーの有名店「和魂印才たんどーる」さんとのコラボです。年末年始ってアニサキスアレルギーの人にとってつらすぎるんですよ。魚料理とか鍋料理が多くてそのほとんどが食べられない。おせちなんかその代表格なんです。実はこのお店のシェフもアニサキスアレルギーで、このつらさを痛いほど理解してくださって開発を進めてくれ、発売が決まりました。

―協会やFacebookグループの設立で、患者の皆さんからどのような声がありましたか?

さとなおさん:患者さんの多くから「精神的に助かっている」と言われますね。アニサキスアレルギーって本当にマイナーで実態を知らないお医者さんもまだ多く、社会的にも理解されにくいんです。そのうえ食物アレルギーなので、1日に3回、食事のたびにこのつらさが思い出されて精神的なダメージを味わう。食事は毎日繰り返されるので、ずっとつらいんです。おまけにたとえば日本国内の旅行ってほとんど魚がおいしい旅になるではないですか。旅行もおいそれとは行けません。友人と旅に行って行く店が限られるのも申し訳ないから友人とも行けない。本当につらいんです。そういう同じような苦しみを持っている人が自分のほかにもいる。そういう患者さんの存在を確信できることで、皆さん精神的にラクになるようですね

アレルギーにはいろんなつらさがあって、乗り越えようと治療に挑戦する人もいれば、withアニサキスアレルギーでいろんなものを注意しながら食べつつ生きていく人もいます。そういうすべての人に正しい知識を届ける場にしたいですね。

食事の楽しみは失ったけれど、大切な仲間は去らなかった

―アニサキスアレルギーになって、今感じるのはどのようなことですか?

さとなおさん:もともと広告の仕事をしていて知人がものすごく多かったこともあって、SNSとかでおいしい食べ物の写真がたくさん上がってくるんですよ。もうそれらを見るだけで気分が落ち込むんです。この業界って、打ち合わせで食事に誘ったり誘われたりすることが多いのですが、このアレルギーになると、そのお誘いもなくなってしまうし、食べられるお店がとても少ないので、こちらも誘いにくくなってしまう。今までできていたことができなくなることを突きつけられるので、僕自身もつらくて、僕は「誰にも会いたくないし、誰も僕とごはんなんか行きたくないだろう」と思い込んでいたんです。まぁ鬱的ですけどね。

さっき話したアレルゲン完全除去生活をただ3年続けるのってとてもつらいので、僕は「どうせなら継続の3年にしてやろう」と、同時にいろんなチャレンジを始めました。そのうちの1つがランニングでした。僕は走ることが本当に嫌いな人間なので、1人で始めるのはあまりにつらくて、「誰か一緒に継続してチャレンジする人いない?」ってコミュニティで呼びかけたら、なんと200人以上がそれぞれになにかチャレンジを継続してくれるようになったんです。

一緒に戦ってくれる家族も、見守ってくれる親友もコミュニティの人も消えていなかった。「みんな、僕の周りにいるじゃん」っていう。

今ではそのランニングも1200日続いていて、毎日淡々と3キロ走っています。雨の日も風の日もワクチン摂取の翌日も休まず走り続けているのに、未だにランニングが楽しいと思ったことがないんですが(笑)、同じ道を毎日飽きずに走っています。走っている間は自分との対話ですから、アレルギーのことも冷静に考えられるんですよね。いろいろ失ったけど、持っていることも多いじゃないか、とか毎日自分に言い聞かせながら走っています。これはもう、「座る禅」が「座禅」ならば、僕にとっては「走る禅」と書いて「走禅」だろうと思ってますね(笑)。

さとなおさん:失ったことよりも、自分が今持っているものにフォーカスが当たるまでに、3年かかりました。それに言い方はむずかしいですけど、マイノリティな弱者の気持ちがようやくわかった気がしました。そうした人の不安や絶望を、表面的にはわかっていたつもりだったのですが、当人としてすごく近くにいる実感があります。そういうことを知ったからこそ取り組み始めたプロジェクトもこれから発表予定です。

僕にとって一番の趣味であり生き甲斐であった「食」に変わるものは、まだ見つかっていません。でも今まで食について考えてきた脳のスペースに大きな余白ができた。これからはその余白に入る、何か新しいことにどこかで出会うんだろうなと今では前向きに考えています。

▼一般社団法人 アニサキスアレルギー協会
https://anisakis-allergy.or.jp/

CREDIT
取材・文:横山由希路 写真:小野奈那子 編集:HELiCO編集部+ノオト
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